6/30(日)16時30分からの西宮教会の主日礼拝を、20名ほどの方々と共に行いました。
6/29(土)著作権的にアウトなのかもしれませんが、「推しの子」のパズル。厚狭。
こちらが厚狭教会。
宇部教会は取り忘れ。6/29(土)10時でした。
地区の講壇交換と、役務上の主任教会の礼拝の週でした。
今週以降の行事は、以下のとおりです。
いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。
7/6 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
7/9 火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝
7/13 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
7/14 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
説教の要旨は以下の通りです。
■ マルコ5:35~43 (新70)
■ 説教 「いのちに導く」
「会堂長ヤイロの娘」の蘇生と、「長血の女性」の癒し。二つの話が同じ時間軸で編集されています。「娘」と「長血の女性」を比べれば、「受ける者と得ていく者」が導かれます。「ヤイロ」と「女性」では、病める者を支える家族と、まさに病める者という側面があります。誰もが「家族」と「当事者」になる可能性がある中、聖書の言葉を聞きたいと思います。
聖書上、12歳という年齢が示すことはありません。主イエスの12才の都詣で(ルカ2:42)も、祭りと主の誕生日が重なっただけです。「成人になった」節目の可能性はあります。しかし何歳であれ、親は子の成長を見つめるのみです。一方で病めるときは、案じます。今会堂長は、娘の死期を伸ばすことを願います。病む者の家族の祈りが、ここにあります。
同じ時、一人の女性がいました。「長血の状態」が12年続く女性は、「汚辱(レビ15:25)」と見做されました。ヤイロが娘の成長を見つめた同じ年、女性は自身と向かい合ったのです。「共同、公共性」がはく奪(レビ15:31「隔離」)されました。今、この女性は「イエスの服に触れれば自分は癒される」と考えます。非難は考えず、イエスの服に触れます。
主による癒しの前提には、懸命に生きようとする「長血の女性」と、生きるものを支えるヤイロがいます。いや、ヤイロは一旦、信仰を放棄しそうになりました。「先生を煩わすには及ばない(35)」と。逝去も、それ以前の長い病苦も、当事者や周囲を落胆させるのに十分です。ただ主は、命へ導くお方です。「地上の命と永遠の生」への道を覚え、生きましょう。