2024年8月14日水曜日

8/10.11.13 柳井と徳山、そして徳地


8/10(土)柳井チャペルの礼拝堂です

8/14(水)の、徳山チャペルの礼拝堂。
 
8/12(月)山の日。山間の徳地(とくぢ)の釣り堀。

ニジマスハント。お土産はサバのような大きいサイズ。この人が採りました。


暑さの中、茹で上がらないメダカたち。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

8/17 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

8/18 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

8/20 火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

8/24 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

8/25 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

■ ヨハネ6:35, 4151 (175)

 説教              「優しさは、繰り返す」 

    「五千人の給食」は、「男だけでおよそ五千人(6:10)」の人々にパンと魚を提供した話です。4福音書が記載する「驚き、印象深い」話です。在所の会堂では聞けない、主の話と働きを求める人々の「身体」が満たされました。ただ、ヨハネ福音書は「給食の意味」を付け加えます。結論は、主は「身体の満たし」以上に、「心を満たす」ことを伝えるのです。

 

    「心の渇き」は、不満や疎外感とも言えます。主は「いのちのパン」と自身を述べ「信じることで、飢えず、渇かず」と言います。「渇かず」は、「魂の渇き」を覚えた「サマリアの女性(ヨハネ4章)」との関わりにも登場します。女性は、主との暖かな、心情を察する対話を通して「渇きが癒される」ことを実感します。ただ日課では、主の発言は戸惑いを生みます。

 

    彼らは主の考え方を問題にします。「出エジプト」時に、人々をマナで養われた神と、自身を同列に見るその姿勢は良いのか。加えて「ヨセフの子」である自身を「天からのパン」と述べる姿勢は正しいのか。主としては、自身の在所を天とする(44)ことで、全ての人のために「居場所を創る」意図を示すものでした。しかし主の言葉全ては、受容されません。

 

   主は「出エジプトの昔(49~)」を、「神の食べ物を食べたのに死んだ」と言います。そしてご自身を「パン」と語ります。「聖餐式に預かる勧め」とは、やや短絡的な見方です。主イエスとはどのような方か。居場所を用意し、共に歩み、支え、日々を助ける方なのです。「対話」の相手として、私たちは自身の心を主に向けましょう。日々の支えが、あります。