8/27(火)徳山の礼拝堂、朝の光を受けています。
数日後の台風が心配です。
今週以降の行事は、以下のとおりです。
いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。
8/31 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
9/3 火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝
9/7 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
9/8 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
説教の要旨は以下の通りです。
■ヨハネ6:56~69 (新176)
「五千人の給食」の要点は、「分かち合う」ことも一つです。頂きものの「パンと魚」を、主は大勢の人々に分かち合うのです。今自身の手元のものも、自身の力も、独自のものではありません。頂いたものを「大勢に」つまり身近な所で使うことが出来ると思います。
今日の聖書では、主が自身を「命のパン」とします。「肉と血(56)」を頂くことを勧め、古事の「マナ」を「先祖が食べて死んだパン(58)」と語ります。不信を示唆(64)された弟子たちの多くが「ひどい話だ」と去ります(66節)。なぜ、主の言葉は届かなかったのか。
「血」は「儀式で、神に捧げる(レビ17:10-12)という規定があります。この規定から「血を飲む」という主の言葉は拒否されます。主は「出エジプトのパン」を時限・有限としますが、受け止める人々は侮辱と思うのです(58)。主と人々とに、境界が生まれるのです。
この時代「罪の赦し」は献金と供物に依りました。しかし主はご自身を捧げられ、供物をご自身となさいました。ここでは「ペトロの信仰告白(67)」が成されますが、やがて離れたペトロを後ろに、主は十字架に向かいます。主の、ご自身の分かち合いを覚えましょう。