2019年5月22日水曜日

5/18.19.22 礼拝と献花

 5/19 防府礼拝後の写真です。
 ステンドグラスからの光が良し。
5/19 徳山礼拝後の写真です。

柳井や六日市の様子も撮りたいと思っています。

今週、来週のシオン教会礼拝は以下、記載のとおりとなります。

礼拝時間の変更があります。どうぞご注意ください。

5/21 火曜日 15時 徳山聖研

5/22 水曜日 19時 六日市C礼拝

5/25 土曜日 15時 柳井C礼拝

5/26 日曜日 10時45分 徳山C礼拝
       15時半 防府C礼拝

5/28 火曜日 15時 徳山聖研 

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。


【ヨハネ13章31-35節】
 「愛の掟」は、「愛敵の教え」と並び私たちを戸惑わせることがある主の言葉でしょう。「愛の範囲」「度合い」などが疑問として浮かびます。またそもそも「愛」とは、人の心に自ずと芽生えるものであり、強制や命令されるものではないとも感じます。そして、愛の掟を自らに課し、それがために自身の心に無理をすることは危険です。そもそも無理をする愛が愛なのか、というところも課題です。「愛の掟」を弟子たちはどう受け止めたのか。

 弟子たちは、私たち程には深刻に受け止めなかったと感じます。弟子たちのみならずユダヤの人々の心には「十戒」という前提がありました。今日の聖書の「新しい掟(34)」に対応する旧約聖書の教えです。「十戒」とは、神さまが人間に与えたものであり、その不十分さを十分お感じになった上で賜うものなのです。十戒は一度人間によって破棄されましたが、再度それが与えられました。また内容も、人間の性向を踏まえ記載されたものなのです。つまり「人は不完全、不十分」との前提で愛を行うことが示唆されるのです。

 「互いに愛し合いなさい」の言葉だけでは戸惑います。「主が私たちを愛された」ことは分かりますが、そのように互いに愛を向けることは出来ない。ここだけではそう結論付けることしかありません。けれど、主と私たちとは、その完全さに於いて比べようがありません。私たちなりの愛を向けて行く。それは例えば、ごくわずかな、ごく限られた範囲の愛なのかもしれません。しかし、すくまず、たじろがず、主に支えられて愛する者でありたい。

 そして栄光について。この時弟子たちは、去り行くユダの背中を見ていました(30)。弟子たちには、いよいよ主の苦難が始まるという思いが満ちていたことでしょう。苦難と死、そこに終始していた弟子たちです。しかし主は「栄光」と語り、神とご自身とが相互に栄光を帰し合うことと述べられます。「苦難と死」を通って復活に至り、弟子たちと共にあることを「栄光」と言われるのです。実際、この主は悩み多い世を、不十分な器を抱えながら生きる私たちと共にあります。自らを改め、主の愛を携えて生きる群れでありたい。
 

2019年5月12日日曜日

5/11.12 礼拝と献花

 5/11 柳井教会の礼拝堂です。
 礼拝堂中央の赤じゅうたんが、日焼けしてしまったので変えようか、
 そんな話を教会員さんといたしました。
2月に産まれた赤ちゃんの賛美の声と共に守る礼拝は格別でした。
  5/12 防府教会の礼拝堂です。
 今日は母の日。教会の母として、OさんとMさんにTさんからカーネーションが
 送られました。見えにくいのですが、献花がピンクのカーネーションです。
  5/12 徳山教会の礼拝堂です。
 夜、撮りました。 こちらもカーネーションが贈られました。
 徳山では讃美歌は教団讃美歌を用いています。
 「まぼろしの影を」510を賛美しました。

今週、来週のシオン教会礼拝は以下、記載のとおりとなります。

礼拝時間の変更があります。どうぞご注意ください。

5/14 火曜日 15時 徳山聖研

5/15 水曜日 19時 六日市C礼拝

5/18 土曜日 15時 柳井C礼拝

5/19 日曜日 10時45分 徳山C礼拝
       15時半 防府C礼拝 

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。


【ヨハネ10章22-30節】
 エルサレムは標高が800メートルほどの高原都市です。冬は寒く、雪が降ることもあったようです。聖書は「神殿奉献記念祭」が「冬」に行われたことを記載しています。しかし「冬」なのは、何も季節のことだけを言いたいのではないと考えます。主の胸中、主を取り巻く状況も「冬の寒さ」だったのではないか。そのような意図を感じるのです。そして「冬の寒さ」とは何も主だけのことではない。私たちも諸事に直面した時に感じるのです。

 「冬の寒さ」とは、時に厳しく時にまとわるように迫るものです。この時主は既に「宮清め」を為した後でした。主を見るユダヤ人宗教者の目線は厳しいものがあります。エルサレムとはその宗教者が渦巻く場でもあります。「神殿奉献祭」とは、経緯は省きますが「国威掲揚祭」のようなものです。主に問われることは「いつまで気を揉ませるのか」と。救い主なら救い主に相応しい行動をとって欲しいし、違うのであればそのように断言して欲しいということなのです。主に厳しい目線と、人数の圧迫で迫る宗教者たちです。

 このような厳しさの中にたたずむ主は決然としています。「私と父とは一つである」つまり、神さまがいつもご自身と共にあると最後には言われます。一方、迫られた直後には、問われたことと何の繋がりがあるのか分からないことを述べられます。宗教者が望むことは「政治変革するメシア」であり、主が言われるのは「忍耐を語り、共にあるメシア」というズレまでは分かりますが、その後「羊のたとえ」が意味することは何か。これこそ「あなたを導くみ言葉に耳を傾けよ。み言葉は常にあなたを導こうとする」という約束なのです。

 「冬の厳しさ」の状況は時に私たちに迫ります。私たちは例えば祈りの中で「主よ」と祈りますが、この宗教者への答えと同じく、意図しないもの、想定しないことが帰ってくることも多々あります。しかし神さまは、常に、今置かれている場所の中で私たちを導こうとされるのです。主の「私と父とは一つである」の言葉を大切にしたい。私は私なのですが、その私に主が共にある。つまり神さまの導きと支えが私たちを常に覆っているのです。

2019年5月8日水曜日

5/5 礼拝と献花

 5/5の徳山C礼拝堂です。
復活を表す典礼の色は白となっています。
 5/5の防府C礼拝堂です。こちらも白。
4月末から5月にかけて、徳山C台所裏手にはサクランボが実ります。
小鳥たちよりも早く、教会の子どもたちが群がっていました。
しかし高い所のサクランボは鳥たちに残す様子です。

今週、来週のシオン教会礼拝は以下、記載のとおりとなります。

礼拝時間の変更があります。どうぞご注意ください。
急な変更を心よりお詫びいたします。

5/11 土曜日 15時 柳井C礼拝

5/12 日曜日 10時45分 徳山C礼拝
       15時半 防府C礼拝 

5/16 水曜日  19時 六日市礼拝 

5/18 土曜日 15時 柳井C礼拝

5/19 日曜日  10時45分 徳山C礼拝
        15時半       防府C礼拝   

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。

今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。


【ルカ24章36-43節】
 このルカ福音書が復活物語の中で強調点としていることは、「関わりを続ける主の姿」です。背後には「背信、不信を重ねる弟子たちの姿」もあるのですが、念押し、確認をするかのように主は弟子たちに語り掛けられるのです。と言っても、「不信、背信」の弟子たちを責められない。「自分自身が弟子の状況になったら」私自身も同様の姿をとってしまう。主はそんな私にも関わる。つまり聖書の話は、主と「あなた」との話でもあるのです。

 今日の聖書の弟子の姿、気になることは多くありますが「主を亡霊」と勘違いします。これが主との再会の初回なら、気にはなりません。しかしこの直前に主は「クレオパともう一人」そして「ペトロ」に再会したとありました。この場には上記3名は居たのに、その口を通して復活の主の姿と語られたみ言葉、「私たちの心が燃えていた」経験を他の弟子たちは聞いたはずなのに、主を亡霊と見做すのです。つまり、主は死んでしまった、亡霊が自分たちの「背信、不信」を咎めに来たと考えた。後ろ暗い心故に「主を亡霊」と見た。

 人間とは、非常な事態には当然弱いものです。主はそんな弟子たちに何度でも関わりを深めて下さいます。そして今日の聖書でもう一つ。「弟子たちは自分たちの不信や背信の姿を、後代の弟子に伝えた」ということが大切です。「主を亡霊と思った」とは、そこに居た弟子たちにしか分からない感情です。以前の不信や背信の姿も同様です。でもその出来事、往時の心情を「弟子の弟子」に伝えたことで、この話は今日に伝わるのです。主がそんな自分たちを受け入れ、関わり続けて下さった感謝が、今に伝わるのです。

 「都に留まっていなさい」の言葉が今日の聖書の延長線上にあります。弟子にとって都は困難を予見される場所です。彼らはしかし都に留まり、やがて聖霊を受けてそれぞれの地に出かけるのです。主は、私たちをかつて個々の教会(一粒の麦)に結び付けられました。そして教会で仲間を加えて下さいました。例え週日はそれぞれの場所で暮らすこがあっても、主の守りは私たちと共にあります。そしてまた教会に集う群れでありたい。