本日も、礼拝や礼拝後の愛さんが、それぞれのチャペルで為されました。
本日の礼拝で為された献花は、赤とピンクの可愛らしい花々です。
いつも思いますが、礼拝堂の赤じゅうたんは、どの花をも映えさせますね。
徳山では礼拝後、愛さんがおこなわれました。
柳井、防府ともに、お茶による交わりがありました。
来週も礼拝は、それぞれのチャペルで行われます。
いずれの礼拝にも、どなたでもご自由にお集まりいただけます。
5/24(日) 徳山10:45~
柳井10:30~
防府15:30~
5/21(木)には、
益田14:00~
六日市19:30~ です。
本日の説教要旨は、以下の通りです。
【ルカによる福音書24章44-53節】
聖書は、事実を問う以上に、真実を問うことを大切にしたい書物です。例えば、今日の聖書はルカ福音書です。主の十字架刑後の、弟子たちの居場所をずっと「エルサレム」としています。他の福音書では、故郷ガリラヤに帰ります。弟子たちの行動はどちらか。正確性、整合性という意味ではおかしいのですが、事実ではなく、そこにこそ真実性を問いたいのです。弟子たちは、エルサレムに留まる必要があったのです。
エルサレム、この都の名の意は「神の居場所」です。しかしこの都は弟子たちに複雑な感情を抱かせます。まずこの都は主と弟子たちを歓待しましたが、舌の根も乾かない内に主を捕縛、殺害しました。弟子たち自身も後悔があります。主と共に入城しつつ背いたのです。弟子たちは、日本的には主からの恩を仇で返したということです。
主はその弟子たちの「心の目を開く」そして「その都に留まれ」の言葉です。自身の罪を知らされる弟子たちです。しかし、です。主はその弟子たちを祝するのです。祝福とは「良い言葉」という意味です。これがエルサレムで為されたことに意味があります。都も、都での弟子たちも主に背く。だが主はその都で弟子たちを祝福します。
神殿とは主を殺害した人々の総本山ですが、弟子たちはそこに留まります。「主は背いた都で我らを祝する、我らもこの都に留まる」との決意が為されたのです。その決意はやがて弱くなり、再度宿屋の二階に隠れることもありますが、主はその弟子たちにも聖霊を下すのです。今週も、私たちは神さまからの祝福を受けて一週間の旅路を行う群れです。今日の祝福は、かならず私たちに多くの喜びや導きをもたらすものとなります。主が私たちを祝する「事実」と、その中にある「真実」を胸に、生きたい。