2018年7月25日水曜日

7/21.22 礼拝と献花

7/22 の徳山礼拝献花です。
皆さんが帰られたあとの礼拝堂で一人、写真を撮っていると、
静けさの中で落ち着く心が示されます。

1 本日の礼拝には、K家の方々、Kさん、Oさん、Nさん、Kさんから欠席の連絡を頂きました。また近隣にお住まいのTさんが「5年ぶりくらいに」礼拝に集われました。




2 「西日本豪雨災害」以降、六日市ではこの7/21 始めて「夕立」の雨が降りました。
 少しの雨ならば、地面を潤すことになるのでしょうが…。


3 連日の暑さのためか、お疲れを抱かれている方もおられます。
 それらの方々のお疲れが癒えますように。


今週、来週ともに礼拝、集会は以下の日程で行われます。


7/21 土曜日 13時 益田市小浜礼拝 この日は休会といたします。 
        14時 益田教会礼拝 この日は休会といたします。
        19時 六日市礼拝
7/22  日曜日   10時45分 徳山礼拝

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。

本日の礼拝説教要約は以下のとおりです。




【マルコ福音書435-41節】
 ガリラヤ湖という湖は、海抜マイナス213m、東西を高地に挟まれた、いわゆる盆地に位置してます。朝晩は高地からの風が海面を吹き付け、嵐の状態になるとのことです。その情報は主も、弟子たちのうち漁師出身の4名にも、知られ体験済みのことでしょう。ただ、残りの8人はそのことを知っていたか。「知っていた」かもしれませんが「体験した」ことは無かったのではないかと思います。その8人が嵐に遭遇するのです。

 当時の船は78人乗り。小舟に分類されます。「激しい突風、船が波をかぶって水浸しになった」とは、文字通り命の危険を感じる状況です。主と4人の漁師出身者には、ごく当たり前の光景かもしれません。だからこそ主は「艫(船の後ろの部分)で枕して寝られていた」のです。が、その8人にとっては初めての嵐。動揺が4人の漁師出身者にもうつり、かくして「先生、私たちがおぼれてもかまないのですか」という言葉となるのです。誰かは不明ですが、弟子たちは主を起こして、嵐と水への対処を願うのです。

 「黙れ、静まれ」と主は「風と湖に」お叱りになられます。ただ主の本当の言葉の対象は何か、はっきりと言えば誰か。風や湖は別に、主や弟子たちを苦しめようと思って吹き荒れたわけでなく、ただの日課です。主もガリラヤ湖の日課のことはご存じです。むしろ「黙れ、静まれ」の言葉は弟子たちに向けられたのではないか。周囲の状況に、加えて動転する隣人の状況に、自身も慌ててしまうの彼らに、主は「黙れ、静まれ」という言葉と共に「共にある安心」「大丈夫だよ」という事柄をそのお姿で示されるのです。

 「慌ててはいけない」「動転してはいけない」ということではありません。昨今の事象や自身の周囲の状況に、私たちもまた「おぼれそう」になるのです。「苦しいことを苦しいと言えない」「辛いことを辛いと言えない」世の中で生きる私たちに、主は「黙れ、静まれ」心静かに気持ちを落ち着ける誘いをくださいます。「黙し、祈る」その中で、今の私たちに為し得る事柄が必ず示されるのです。聖書は私たちに、そう語り掛けます。