2020年10月5日月曜日

10/3.4.7 礼拝と教会の様子

  

 防府チャペルの前景となります。青空に映える教会ですね。

 徳山チャペルの礼拝堂内となります。
 
ただ今、徳山チャペルの前の道では、道路工事が続けられています。騒音が…。
  
今週、来週の礼拝は下記の通りです。

10/7 水曜日 19時 六日市C礼拝

10/9 金曜日 休会 聖書を学ぶ会
 
10/10 土曜日 15時 柳井C礼拝(藤井邦夫牧師)
        10時 水原牧師 出張 

10/11 日曜日 10時45分 徳山C礼拝 
       15時半  防府C礼拝
 
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
 今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。
 

 「人 間 本 来 無 一 物」  マタイによる福音書 21:3346 (42)

 「聖書にこう書いてある(42)」以下の引用の原典は、詩編118(958)となります。その続きは「今日を喜び祝い、喜び踊ろう」とあります。「与えられた今日、いのち、出来事」を思うことは、人生の過程では中々少ないのかもしれません。しかし、自分自身や身近な諸事を通して、「今日」への感性が研がれることもあります。今日の聖書も、主とユダヤ教宗教者の「論争」の聖書です。が、その論争を通して示されることを、聞きたいと思います。

 

 殺伐とした「ぶどう園」ですね。例えは、「主人(33)が神さま、農夫(33)がユダヤ教宗教者、僕たち(34-36)が旧約の預言者たち、主人の一人息子(37)がイエスさま」です。主人は農夫に「ぶどう園の管理」を託します。ところが農夫たちは「管理」をなおざりにします。僕たちに乱暴し、「相続財産(38)」のため主人の息子を殺すという、人道的にも法的にも意味不明、支離滅裂に振舞うのです。主人の行動を、主は聞き手に問います(40)

 

 聞き手である「ユダヤ教宗教者(2123)」は、ぶどう園の主人の怒りを主に伝えます。主は彼らの言葉を受け取り、「ユダヤ教宗教者」たちへの厳しい言葉を続けます(43-44)。彼らは怒り、主を捕まえようとしますが、留まります(45-46)。彼らが怒ったのは、これまでの経緯もありますが、主の話の内容にも理由があります。「神さまから委ねられ、託された働き」をないがしろにした「農夫たち」に、自分たちが重ねられたことに気付いたのです。

 

 当時の宗教者への批判はともかく、私たちはどうか。旧約のヨブが語るように、「人間は本来無一物」でした。しかし生の過程で、多くが賜物として備えられます。「全ては神さまから頂き、お預かりしたもの(歴上2914)」。しかし、与えられたことを失念する。あたかも、創世記で「支配=管理の務め(126)」を与えられた人が背いたように。周りを見渡せば、いろいろな思いが飛び出て来ます。その中で「今日を喜び、祝う」との詩編118の思いを得たい。与えられた今日の私のいのち、今日の出来事に、しみじみと、感謝したい。