まずは防府から。11/28(日)15時半からの礼拝に備えて、写真を撮りました。
アドベント第一主日です。
聖家族たち。当初の設置状況は、賢者たちが部屋に入っていました。
主は外に置き去りに…。それも一つの真理でしょう。
天使の羽根は、乾燥したほおずきの実。
乾燥させた方も、それを天使に用いた方も、アイディアが素晴らしい!
11/27(土)の礼拝堂です。
今週、来週の予定は以下の通りとなります。
12/1 水曜日 19時 六日市チャペル礼拝
12/2 木曜日 17時 西教区常議員会 於:京都教会
12/4 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
12/7 火曜日 10時 人事委員会(於:ZOOM)
12/8 水曜日 19時 六日市チャペル礼拝
12/11 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。
■ ルカ福音書 21:25~36
(新152)
■ 説教 「冬が過ぎたら、何が来る?」
今日の聖書の舞台は3月。ユダヤの3月の「今の」平均気温は10度前後ということです。昔はどれほどか。日中は春の陽気でしょうが、夜半は肌寒い時に主は弟子たちを集め、教えられます。その内容は、当時としては一つの常識だった「終末についての教え」。今日のルーテル教会では、これは解説や解釈なしでは読まれにくい箇所と言えます。しかし主の表現で、「終末の預言」以上に注目したいのは、「イチジクの葉」に関する言葉です。
英国人シェリー「西風に寄せる詩」に「冬来たりなば、春遠からじ」と訳される言葉があります。この日の聖書にも通ずる言葉です。聖書で主は、確かに天変地異を25-28節と、31-36節でお話になっています。当時のユダヤの「一般から下層」の人々にとって、生活は厳しさの極みでした。その中で人々は「ご一新」としての「天変地異と再臨」を待望するものでした。「春」としての終末を望む、当時、流布されていた信仰の言葉を主も語ります。
その「厳しさの極み」の感情を、私たちは知らないことはないと思います。今はなくても、昔やこれからを考えると、心配になりますね。でも主は言われます。「厳しさの極み」の中、終末待望する信仰と共に共に「イチジクの木を見なさい。若葉が出る時が来る。同様に、神さまはあなたのすぐ傍にある(神の国が近づいている(31)」と。聖書の舞台は3月でした。決して暖かではないその時節に、主は、自然を通しての神さまの支えを語るのです。
以前は待降節第一主日「ロバの子に乗る主」を聞いていました。小さなものを用いる主の姿です。主はここでは、「小さな芽、或いは枝」を見て、そこから芽吹く緑の若葉を語られるのです。ルターの言葉として確定しているのは「この世を動かす力は希望である」というものです。「ご一新」「終末」以上に主は、その過程、渦中にある私たちに「命の希望」「それが世に属する私たちを動かす」ことを語るのです。「神さまのお支え」を覚えましょう。