新年も、1/2は徳山と防府で礼拝が行われました。
防府は会員のご家族が出席され、大勢での礼拝となりました。
さかのぼる1/1は、柳井でも礼拝が行われました。
普段は来られない、会員のご家族がこちらにも出席されました。
年末年始の寒波は、降雪には至りませんでしたが寒い。
徳山礼拝堂の灯油ストーブが大活躍でした。
今週、来週のおおまかな予定は以下の通りです。
1/5 水曜日 六日市チャペル礼拝 (家庭礼拝です)。
1/8 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
1/12 水曜日 19時 六日市チャペル礼拝
1/15 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。
■ 出エジプト記34章9節(旧約151ページ)
「主よ、もしご好意を示して下さいますならば、主よ、私たちの中にあって進んで下さい。
確かにかたくなな民ですが、私たちの罪と過ちを赦し、私たちをあなたの嗣業の民として
受け入れてください。」
■ 説教 「私たちの中にあって進みたまえ」
旧約聖書で語られるユダヤの民の「危機」の一つは、「出エジプト」でした。指導者であるモーセやユダヤの人々にも、多くの困難がありました。ただ両者が感じる「困難」の内実は異なっていました。モーセにとっては、「新しい生」に幻滅し、懐古に陥る人々を鼓舞し続けること。人々にとっては「荒野を旅するその事柄」でした。語られる歴史は古いものですが、事柄としては決して古くはない、今の私たちにも重なる聖書の言葉を聞きましょう。
さて、出エジプトの人々は荒野の旅路のさ中、「肉、水、パンが欲しい」と求めます。心情は分かります。確かに人々にとってエジプトでの滞在は「苦難」もありましたが、「飽食」の思い出のみが荒野の旅では輝いたのです。現状が厳しければ厳しいほど、現状の受容は難しく、「過去」に思いが向くのです。経験があると思います。聖書で神さまはその人々に「十戒」を授け、荒野の生という環境に対応できる「分かち合う生」を示されるのです。
ただ、十戒授与以降も、モーセは神さまと話し込み、下山が遅れます。人々は「先立つ神が欲しい」と言い、「金の子牛」像を鋳造し、「神」とし、周囲で礼拝と飲食にふけるのです。神さまはまた激怒なさり、石の板を壊されますが、「私たちに先立って進んで下さい」との民の声に心ほだされ、再度十戒を授けます。あえて言えば、聖書の人々の願いは「先立って歩み、共に居る神」の姿であったと思います。それは、新約聖書の主に至るのです。
出エジプトの民にとって、ユダヤの地は祖先の地でしたが、実際の現住世代には未知の土地でした。だから「私たちに先立って進みたまえ」という祈りが発せられたのです。私たちの年初の状況も、同じであります。懐古、回顧を思いつつも、神さまはこの年も私たちに、新しいご計画を予定されています。それが何であるのか。またこの年に何が起きるのか。今は「未知の土地」に歩む群れですが「先立つ神様」を思いつつ、日々を生きたい。