2022年9月20日火曜日

9/17.18 台風とそれぞれの教会

 

 9/18(日)の防府チャペル。

 外は台風接近の直前の様相でした。

 風に煽られるという体験は久しぶりでした。

 9/17(土)の柳井チャペル。

 多少、風が強くなっていました。

 庭の柿の木、イチジクはどうなっていることでしょう。

 再び9/18(土)徳山チャペル。

 地面からのアサガオはまだまだ元気。台風一過の今も同様です。

 さかのぼって9/14(水)の六日市チャペル。

 実に、二か月ぶりの対面礼拝でした。

 台風は、大きな被害を及ぼしませんでした。

 しかし各地の惨状を覚え、痛みを覚えています。

今週、来週の予定は以下の通りとなります。

9/21 水曜日 19時 六日市チャペル礼拝 

9/24  土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

9/25 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝      

        15時30分 防府チャペル礼拝

9/28 水曜日 19時 六日市チャペル礼拝

10/1 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

10/2  日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝      

        15時30分 防府チャペル礼拝

 今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。

ルカ16: 110(140)

1イエスは弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。  

4そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』 そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』

7また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。

9そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。

13どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるかどちらかである。あなたがたは神と富とに仕えることはできない。」

 説教               「小事に忠実であるように」 

「箴言」とは、「いましめる言葉」で、今日にも通ずる格言が含まれています。「冨」とは、「…鷲のように翼を生やして、天に飛び去る(235)」と雄大に言われています。それは、手元にある時は喜びと安心の象徴です。でもどこから来て、どこへ行くか分からない一つと言えます。冨に関わる出来事は、明るみに出て始めて全容が分かるものと言えます。主が語られた出来事(1-8節前半)は、実際に起きた出来事でしょうし、今日も起こり得ます。

 

「金持ちの管理人」が例えていることは、何でしょうか。ある金持ちは神さま、管理人は主イエスご自身、管理人は「告げ口をする人(1)」によって窮地に立たされます。実態は不明ですが、管理人は失職寸前です。その時管理人の取った行動は「金持ちに借りのある人々の負債を赦す」ことでした。金持ちは、自身の損害請求は二の次で、「管理人を褒めた(8)」のです。管理人も、自身への責任追及は二の次で「赦す」立ち位置に回るのです。

 

この「金持ち」「管理人」共々、不思議です。直前の「放蕩息子の父」にも通ずる「不思議さ」です。あの父親は、自身の威厳ではなく、息子たちを出迎えることを優先しました。父は子どもたちを赦すのです。ここでも管理人は負い目のある人々を、金持ちは管理人を赦すのです。これは貸借や不正を勧める話ではありません。ルカが「一部始終(14)」とまとめるこれらの話は、自身の損害(労力や痛み)を越えて人を赦す、愛の神の姿です。

 

その対象は人、携えるものは冨です。聖書の理解では元来、「託されたもの」としての冨があります。「神と富とに仕え得ない(13)」という結びから、富が悪魔の化身とされた中世時代もありました。今日、富を悪魔とは理解はしませんが、人を戸惑わせる力があることは確かです。「小事に忠実に」とは、託されたという事実に忠実に生きることと言えます。冨に限らず、全ての託されたものを用いて、つながりの中に生きていきたい。