2019年6月12日水曜日

6/8.9.15 礼拝と花壇

  徳山Cの外、花壇はすくすくと育っています。
 6/12現在、徳山を含む山口県は梅雨入りしていませんので、
 水遣りはもっぱら私の仕事です。

 左側にはゴーヤとトマトが植えられました。教会員のご奉仕です。
柳井C聖壇です。献花は「一粒の麦」職員が活けて下さいました。

 防府、六日市でも礼拝が行われました。

 今週、来週のシオン教会礼拝は以下、記載のとおりとなります。

礼拝時間の変更があります。どうぞご注意ください。

6/11 火曜日 15時 徳山聖研

6/12 水曜日 19時 六日市C礼拝

6/16 日曜日 10時半 六日市合同礼拝
 ※合同礼拝に備えて、6/15の柳井礼拝、6/16の徳山、防府礼拝、
  6/19の六日市礼拝は休みとなります。 

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。


【使徒言行録2章1-13節】
「生きているのは…私ではなく、キリストが私の内に生きているのです(ガラ2:20)」。主とその弟子たちとの関りの中で伝道者とされたパウロの言葉です。弟子たちの活躍の原点をこの日、使徒言行録が語っています。「使徒」単独というよりは、使徒たちを力づける「聖霊」の働きが記載されているのです。その出来事が起きたのは「五旬祭」の日でした。この日に聖霊降臨が起きたということにも、神さまの導きを思わされるのです。

五旬祭、それはユダヤの暦では「春の収穫感謝祭」であり「律法(含む、十戒)授与記念日」でもありました。神さまの導きと恵みを覚える日だったのです。その日、弟子たちは一つになって集まっていた(1)。そこに聖霊が下るのです。記述は不思議の一言に尽きます。大音声や象徴的な火など、律法授与時(出エジ19)との関連性も考えられますが、確かなことは言えません。また「一つになっていた」から「聖霊が下ったのか」否。神の言葉が何度でも、ユダヤの民を通して全てに与えられるために、神が働いたのです

この五旬祭の祭りに備えて、今の地域呼称で言う「西アジア」や「アフリカ北部」の国々から人々がエルサレムに集まっていました。参拝義務があったのです。彼らはそこで、自分の国の言葉で「神の偉大な業(11)」を聞くのです。幼少時から聞いていた話(天地創造/出エジプト/捕囚と解放)を、自国語で聴ける喜びを感じた彼らは、続いての主の受難と復活の話にも傾聴します(22-39)。人を喜びに満たすのは、「使徒」ではなく「聖霊」の働きであると言えます。しかし「聖霊」は「使徒」を通して働いたのです。

聖霊は、単体でお働きに成ることは少なく、むしろ人や出来事を通して働く。その意味で、私たちも聖霊の働きを受けて来た者です。また私たちも聖霊の導きの中で他者に関わることもあります。「聖霊降臨祭」は、かつての出来事を記念することも大切です。しかし「み言葉をもって自らに関わって下さった」神さまを覚えたい。そしてこれからの日々、私たちは「み言葉の祝福の中にあって」他者に関わりたい。神さまの豊かな導きの中で。
 

2019年6月4日火曜日

6/1.2.5 礼拝と献花とD60

  6/2 徳山C礼拝堂です。
 前々から欠席をお知らせくださっていた方、
 前日や当日、お知らせ下さった方など多く居られた主日でした。
 献花は、「教会の草木」。もうすぐ聖壇も緑に変わります。
6/1 柳井C礼拝堂です。 
 こちらの礼拝堂は金曜日に清掃が行われます。

6/2 午後の防府礼拝も 行われました。6/4には六日市礼拝も行われます。
 写真は山口県立博物館のD60.東海道本線や山陰本線で活躍したとのことです。
 登記事務のため、山口に出張した際にパチリと撮りました。

今週、来週のシオン教会礼拝は以下、記載のとおりとなります。

礼拝時間の変更があります。どうぞご注意ください。

6/4 火曜日 15時 徳山聖研

6/5 水曜日 19時 六日市C礼拝

6/8 土曜日 15時 柳井C礼拝

6/9 日曜日 10時45分 徳山C礼拝
       15時半 防府C礼拝 

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。


【ルカ24章44-53節】
語る言葉を無くす出来事が次々に起こる世の中。しかしそれは何もテレビの世界だけでなく、私たちの身近、知り合いの中でも起こると思います。当事者とされた時には「なぜ、どうして」との問いが絶える事はない状況かと思います。当事者でない時にも、見聞したその出来事に唖然としつつも「なぜ、どうして」と問うのでしょう。「主の復活」についても当事者とされた人たちには、当初は語る言葉を見出すことが出来ないものでした。

今日の日課は、ルカ福音書の「主の復活」から繋がる一連の脈絡の中にあります。墓に主の体が不在であることを「驚いた」ペトロ、エマオ村への途上を行く「暗い顔」であった二人の弟子たちから始まる物語は、復活の主が弟子たちへ何度も関わることが強調されます。44節からは、預言書に従って(イザヤ書、ホセア書)ご自身が復活なさることが告げられ、「悔い改め=方向転換」もまた同様に告げられます。「使徒言行録」1章を見ると、主への弟子たちへの関わりは「40日に渡って(使徒1:3)」為されたとあります。

「悔い改め」それは、「自分」から「神さま」への方向転換とも言い換え得るでしょう。それがこの40日間、主から弟子たちに為された。悔い改めとは、人間の行いではなく主の導きによって為される。そして50節。主は弟子たちを伴い「悲しむ者の村(ベタニア)」に行かれ、弟子たちを「祝福」する。古典信条に記載の「再臨」まで、主はみ言葉と聖霊をもってこの世の弟子たちを力づける。すると弟子たちはエルサレムに帰り「神賛美(53)」を為すのです。

「祝福」と「神賛美」は同じ言葉です。「祝福を受けた人は神さまを賛美する」信仰者の「理想」が記載されています。現実は「語る言葉を無くす」「独白(モノローグ)」が多い週かもしれません。ならば、せめて「独白から対話へ」との決意は出来ないか。発せられた自らの思い、言葉にならないうめきを、聖霊の助けの中で「神との対話」すなわち祈りへと昇華できないものか。その祈りは、自分や他者、見知らぬ方々を覚えるものとして。
 

2019年5月26日日曜日

5/22.25.26 礼拝と献花と庭

  5/25 この日は防府Cの生け垣のチェック。
 だいぶ伸びています。剪定せねばなりません。
  5/26 徳山C礼拝後に、花壇の手入れがなされました。
 濃い色が似あいますね。
  5/26 徳山Cの礼拝堂です。今年初めて冷房を入れました。
 外気は30度前後かと思います。
5/25 柳井C礼拝前に、敷地内の畑を撮りました。
 中央には収穫された玉ねぎ。新玉ねぎもいい味です。

  5/22には六日市Cでも礼拝が行われました。

今週、来週のシオン教会礼拝は以下、記載のとおりとなります。

礼拝時間の変更があります。どうぞご注意ください。

5/28 火曜日 15時 徳山聖研

5/29 水曜日 19時 六日市C礼拝

6/1 土曜日 15時 柳井C礼拝

6/2 日曜日 10時45分 徳山C礼拝
       15時半 防府C礼拝 

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。


【ヨハネ14章23-29節】
故人の思い出として聞いて頂ければと思います。私の(父方の)祖父は熱心な仏徒でした。キリスト者になった私に、所属する仏教系団体の本を渡して、キリスト教に関して色々と述べたことを思いだします。「仏か、キリストか」と真顔で言われた事には驚きました。それから祖父の家に行くと、随分と肩身の狭い思いをしたことを思いだします。「あれか、これか」選択することに困らせられる選びに直面することがあります。主の時代もそうでした。「棄教か、死か」の問いの前に、主も「み言葉を守るか、守らないか」と問いかけるのです。

「守るか、守らないか」このような択一の問いは弱ります。心情的には主のみ言葉に生きる者として、現実的にはこの世に生きる者として、その場に応じた態度を取ることがあります。結果として主の愛の言葉以上に、自身の本心、本音に忠実になる。私たちの現実は「平和、平安」ということはない。私たちにも「敵」がいることがその原因でしょう。具体的に反目する人、或いは仕事の重圧、私たちの心身に在す病苦、いわゆるストレスが私たちの信仰を阻む。しかしその中で私たちはこのみ言葉と説教を読んでいるのです。

つまり、私たちは既に「み言葉を守る者」とされている。そして「み言葉に守られる」者なのです。加えて主は「聖霊が全てを教える」と語ります。これこそが「あれか、これか」の前に立ちすくむ私たちへの福音なのです。見えない聖霊を語ることは、抽象論の応酬になる危険性も踏まえます。しかし聖霊とは、使徒言行録を通して「人や出来事を通して働く」と示唆されています。つまり、困難な選択を迫られるとき、それに伴う形で神さまの助けがある。それが「平和(平安、大丈夫)を与える」という主の言葉の内実になるのです。

29節「出かけよう」と言われた主は、この時は宗教者と対峙するお気持ちだったのか。しかし思い返されたかのように「ぶどうの木」の話を始められます。「神さまとあなたは繋がっている」ことを弟子たちに強調するために、主は留まられたのです。私たちもこの繋がりの中にあるのです。主が悩める私たちの心に共にある。覚えつつ、生きたい。