2019年11月17日日曜日

11/12.16.17 館山と柳井と徳山

 11/11(月) 早朝の柳井です。
 この日は9月の台風で被害を受けた屋根修理の開始日。
 足場組みから始まりましたが、折しも柳井では大雨でした。

 11/12(火)遠くに富士山を臨みつつ、館山から東京に向かうバス車内です。
千葉県館山市内で活動するボランティア団体(NCC系)に加わり、
 復旧支援活動に携わりました。

11/16(土)柳井Cです。屋根は直りました。
 無事故とのこと、感謝でした。

11/17(日)徳山Cです。
 小田原教会からの客も加わった礼拝でした。

 今週、来週の予定は下記の通りです。

11/19 水曜日 19時 六日市礼拝

11/22 金曜日 14時 聖書を学ぶ会 於:徳山 
 
11/23 土曜日 15時 柳井C礼拝

11/24 日曜日 10時45分 徳山C礼拝
        15時半 防府C礼拝
 
11/27 水曜日 19時 六日市C礼拝

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。


【ルカ福音書 20章27-40節】
「論語」を学校で扱い始めた時に、その読み方をまず教わりました。古典には読み方、解し方が長い年月を経て蓄積されているのです。聖書の「黙示文学」と呼ばれるものも然りです。書かれ、語られた背景に立ち、その上で私たちに意味することは何かを共に聴くのです。「復活」も、元来はそのような黙示文学の背景、つまり信仰者の苦しみ、生活の刻苦という前提で、旧約時代に語られたものです。それを否定する「サドカイ派」です。

人の復活とは、旧約では黙示文学(ダニエル/ホセア)に見出せます。信仰者への迫害が甚だしい時代、当座の苦しみと死を越えて人を救いに導く神を預言者たちは黙示で語り、人々はそれを望みとしたのです。転じて主の時代、権益と結びついた世襲制の特権階級、サドカイ派というグループが居ました。彼らは復活を否定。理由は2つ、モーセ五書に未記載であり、語る必要が無かった(彼らの対象は裕福な信仰者)からです。

サドカイ派は主を困らせる意図で質問します。模範解答は「長男」となります。「では次男以下は…」と返し、主に言葉を詰まらさせる目的です。しかし主は、サドカイ派の立場を最大限に尊重しつつ、答えられます。ユダヤの伝統的な死生観(人は死ぬと陰府に行く)を引用し、偉人三者を助けた神さまの偉業を思い、「陰府」以降の復活を語られます。学者たちは主の答えに感銘か皮肉を感じ、これ以上の質問を為すことはないのです。

主はサドカイ派の学問的立ち位置を尊重された。しかし、そもそも主にとっては、復活は学問の一つではありません。復活とは「旧約時代の黙示文学の背景」即ち、苦しみ、寂しさを抱えつつ生きる信仰者の嘆きへの応答でした。この主は時代を越えて私たちにも語られます。アドベントを控えた教会の暦は、終末(やそれに伴う復活)の事柄が語られます。ユダヤの理解では、人は死ぬと陰府に行く。しかし主はそのような陰府をご自分の十字架によって滅ぼされた。終末には恐怖なく、懐かしい人との再会があるのです。
 

2019年11月10日日曜日

11/9.10.13 礼拝と献花

 11/6(水) 益田訪問時の教会遠景でした。
祈祷会を行い、そのまま六日市Cに向かいました。

11/10(日) 防府Cの礼拝堂です。
聖壇の色は緑。ここ最近、赤(宗教改革)→白(全聖徒)→そしてみどりと
変わりました。

今週、来週の予定は下記の通りです。

11/12 火曜日 牧師 千葉県館山市

11/13 水曜日 19時 六日市礼拝

11/15 金曜日 14時 聖書を学ぶ会 於:徳山 
 
11/16 土曜日 15時 柳井C礼拝

11/17 日曜日 10時45分 徳山C礼拝
        15時半 防府C礼拝
 
11/20 水曜日 19時 六日市C礼拝

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。


【ルカ福音書 19章11-27節】
 主の話は、大変に後味が悪いものとなっています。27節「打ち殺せ」と。もちろんこれは主のお言葉でなく、たとえ話の「ある立派な家柄の人(12)」の言葉です。27節の言葉が無ければ、「ある立派な家柄の人」が誰かを特定するのは難しくないのですが、この言葉の故にたとえ話は難しいものとなるのです。主誕生の年、ヘロデ大王が逝去しました。不人気な後継者が、「王になるのを望まない(27)」デモ隊を武力鎮圧したという出来事がありました。主のこの話はおそらくその史実を下敷きに置いていると思います。

 主の話の要点は「ムナの運用」そこから「与えられたものを用いる」勧めとなります。マタイ福音書の「タラントの話」と似ています。あちらはそれぞれ「5.2.1」のタラント(才能、賜物)が与えられた。こちらは「それぞれ等しく1ムナ」ずつです。「才能」と異なる、神さまが私たちそれぞれに等しく与えられるものは何か。「命? 神の言葉? 」安易な結論は出せません。概算ですがタラントは5,000万円、ムナは50万円ほどの価値の貨幣単位です。

与えられたものを用いる。例えば「命」を用いるとは、他者のために自身を捧げること(人のため自分の持ち物を用いること)でしょう。「み言葉を用いる」とは、様々な形で主のみ言葉を具体化してゆくことでしょう。伝道活動というと大きくなりますが、主の愛、主の支えを有言無言で伝える。いずれにしても積極的な生き方への勧めです。賜物を、風呂敷に包んでしまうか、用いて行くか。「行い」に傾斜する箇所ですが、続きがあります。

直後に主は「エルサレム入城」をなさり、そこで「ロバ」を用いられます。世間的に見れば、乗り物としての評価は最低なものを「用いる」のです。「用いて行く」という選択肢に加えて、「用いられる」という選択肢もあることを覚えたい。聖書の根底には、存在の大切さがあります。「神は全てのものを見て良しとされた(創世記)」。ムナとは、「わたし」でもあります。神さまが私を用い、時に応じ、時にかなった益をもたらして下さるのです。
 

2019年11月3日日曜日

11/2.3.6

 写真はいずれも先週、宗教改革礼拝のものでした。
 柳井Cには、セタホーム元宣教師 のご次男、キース氏と奥さまが来られました。
 徳山C。こちらも宗教改革主日。
防府Cでは草刈りがなされました。

今週、来週の予定は下記の通りです。

11/6 水曜日 19時 六日市礼拝

11/8 金曜日 14時 聖書を学ぶ会 於:徳山 
 
11/9 土曜日 15時 柳井C礼拝

11/10 日曜日 10時45分 徳山C礼拝
        15時半 防府C礼拝
 
11/13 水曜日 19時 六日市C礼拝

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。


【ルカ福音書 19章1-10節】
 かつて日本では、クリスマスの意味は知られていませんでした。しかし今は殆どの人がご存じであると思います。ハロウィンも然り。ハロウィンとは、本日私たちが集う「全聖徒の日」の前夜集会です。日本の「お盆」のように北欧の方々も「召天者」を迎え、召された方々と久方ぶりに邂逅する。それがハロウィンであり、全聖徒日の前日なのです。神さまが御国に「招かれ、召された」方々と同じ部屋で聴くみ言葉は、「ザアカイの招き」です。

 大の大人が木に登ってまで、主を見ようとする。その「大人」が嫌われ者のザアカイ、徴税業務を職業としていました。いみじくも彼が「だまし取る(8)」と明言した如く、乱暴以上の働きをしていたようです。そのザアカイを周囲の人も「(神と人とに)罪深い(7)」と理解していました。そのザアカイが主の噂を聞く。主の姿を一目見ようと思いますが、「群衆に遮られる(3)」のです。その状況で彼が思いついたことは「桑の木登り(4)」でした。

 ザアカイの内面は推測するしかありません。一般論としてこの時代、徴税人は「神のみ前から“失われた”人」と見做されてきました。平たく言えば、当時の宗教者が神さまのみ名を持ち出して「(職業)差別」を行っていたのです。当初からか次第にかは分かりませんが、ザアカイも周囲のその目線を痛々しく思っていたのでしょう。なぜザアカイが主を見たいと思ったのか、それは不明です。しかしそんなザアカイのことを主は見ていた。「失われたものを探す(10)」という主の言葉は、ザアカイとこの私たちに告げられます。

奥さまを先が先に天に召された男性が、ある日「戸を叩く」主の絵を見出されました。恣意的な引用ですが、主は「失われたもの」「見出されないもの」を探す方なのです。初代の教会は「キリストの陰府への宣教」を語り、その名残は1ペトロ、使徒信条にあります。ルター派の「和協信条」にもあります。主は、生ける者にも召された者にも、み言葉をたえず語って下さるのです。御国へと招かれるその日まで、主の眼差しを覚えたい。