2014年9月14日日曜日

9/14 礼拝の花とメッセージ





本日の礼拝献花です。「野の花を見よ」との聖書に従い、
全て教会の庭のお花です。テッポウユリ、彼岸花、もみじ、つた…。

本日も礼拝が行われ、礼拝後にはおにぎりとスープの愛餐でした
次週の礼拝は、9/21(日)10:45~行われます。
どなたでもどうぞご自由にお越しください。

本日の礼拝説教は、以下のとおりです。




説教要旨】 マタイによる福音書1613-20節 
今日の聖書には、主がとある場所を訪問された記述があります。その場所はフィリポ・カイサリア。当時はローマ皇帝をカエサル(“皇帝”の意味)と呼び、当時のこの地方の総督名をフィリポといいました。湖沿いの街で、大変にこの風光明美な避暑地だったようであります。フィリポはその街を、ローマ風に改築したと言われています。そこに主のご一行が到着します。

主はご自身の噂を尋ね、お弟子さんたちは主の噂を持ち帰ります。この場はローマの香り高い場所ですが人々は、旧約聖書や直近の偉人を主に当てはめます。市井に生きる人々の気持ちは、真の神さまを待ち望む心なのです。そして主は噂を集めた弟子たちにも問います。シモンが「メシア」と答えます。「私の救い主」の意味です。そして「ペトロ」の名を付与します。

シモンは豪華な街を見、街の人々の生の声を聞きます。変革を求め、助けを求める人々の声。だが主をメシアと答える。どんな状況でもシモンは主を救い主と見るのです。でもシモンが主を見る以上に、主はシモンを良く見ていた。その証拠の一つがここでシモンに下された「ペトロ」の名前です。意味は「石」です。やがてペトロは、やがて主の十字架の直前に離反します。

ペトロは主を告白した同じ口で主を否むのです。そのような覆水盆に帰らずの過ちを犯すであろうペトロでも、主は「鍵」を渡すのです。主を救い主とする告白は、一時(もちろん、何度でも)の人間的な弱さによってくつがえるはずがありません。この「鍵」は何か。人は召されると、鍵付きの二冊の本が渡されると言います。一冊は善行の本、一冊は悪事の本。善行の本には良いことが書かれている。悪事の本を開けると、ただ一言「主によって赦される」感謝。