2014年9月21日日曜日

9/21 礼拝のお花とメッセージ


本日も、10:45から礼拝が行われました。
本日の礼拝献花です。まだつぼみですが、今週一週間の秋の和やかさの中で
開花するのでしょう。

礼拝後は、枝豆おにぎりと、豚汁のおみそしるでした。
豚汁(←これをなんと読むか)ですが、私はトンジルと読みます。

来週も礼拝は、日曜日10:45から行われます。
どなたでもご自由にお越しください。

本日の説教要旨です。新約聖書34頁からです。



説教要旨】 マタイによる福音書181-14節 
宗教は倫理的な教えを伴います。今日の聖書にも「心を入れ替える」の言葉が出てきました。これを言われたお弟子さんたちには戸惑いの心が生まれたことでしょう。結論は「主は倫理の前に戸惑う私たちをご存じ」だということです。それで、日課を解する上で、直前のペトロへの問いかけが重要です。神殿税支払いに際して、主はペトロの分も併せて払うという記述です。

それを知る「一行」は、なぜ彼だけと思うでしょう。その出来事を引き受け「その時」と聖書は書き始めます。「誰が一番偉いか」のお弟子さんたちの問いかけは、直前の出来事から生まれたのです。主は一人の子どもを呼び、引き合いに出し、弟子たちに「心の入れ替え」を告げます。この子どものように心を真直ぐ、素直に持つようにとのことです。唸ってしまいます。

お弟子たちは改心を告げられ、身の置き場を無くしたことでしょう。しかし、「羊飼いの話」はお弟子たちを戒めるための話と解さず、慰めの使信と受け止めたいのです。この一連の出来事の中で、確かに軽率とはいえ、お弟子たちの心は迷うことでしょう。真の羊飼いとしての主は、迷い出た、今迷っている弟子たちを探し求められる、ということがここで書かれています。

私たちは「一匹の滅びもみ心ではない」の言葉を、心から受け止めたいと思います。そして今回の一連の出来事の「神殿税」の話がありました。お弟子たちには、困惑を引き起こす出来事でしたが大切な使信があります。主はペトロの分を自身の分として出した、肩代わりなさったのです。これが「贖い」。主の意識では神殿税は払う必要のないものでしたが払われます。それはペトロが生き易いようにするためだからです。それはまた,私たちに同様の「贖い」です。
 


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