2015年2月15日日曜日

2/15 礼拝献花とメッセージ





朝は日差しの中で礼拝が始まりましたが、今は曇っている徳山です。
そろそろ「三寒四温」という言葉が使える時期でしょうか。

本日も礼拝が守られました。
礼拝後にはお汁とおにぎりの愛さんが振る舞われました。

来週から教会の暦は四旬節となります。
来週の礼拝も、どなたもご自由にお越しいただけます。
2/22(日)10:45~です。

本日のメッセージは以下の通りです。



説教要旨】 マルコによる福音書92-9節 
日本には「神輿(みこし)」というものがあります。神的存在の乗物です。ユダヤにも同様のものがありまして「仮小屋」と呼んでいました。「仮庵」とも言います。移動式の「神輿」のようなものです。その「仮小屋」が聖書に登場します。日課は「主の変容」の箇所です。教会暦はこれまで、主の誕生、生涯の初期を聴いてきました。聖書は、その主が何者かを説きます。

顕現節、主の宣教と癒しを聴いてきました。その主が神であることを語る聖書。顔の光輝と衣服の輝きは、神さまであることの伝統的な表現です。語りあうモーセとエリヤは、遺体場所が不明な旧約の偉人です。対話中の主たちにペトロは「仮小屋」を3つ建設しましょうと提案します。神さまに、共に在り続けることを願う心です。神輿の担ぎ役として名乗るようなものです。

しかしペトロたちはやがて逃亡します。神輿をうっちゃって逃げるようなものです。エルサレム近郊の丘に立つのは、三つの仮小屋でなく三本の十字架でした。モーセとエリヤでなく、二人の強盗が、主と共に十字架に付けられるのです。共に、と願ったペトロは行方不明です。けれど主はこのペトロをも覚えるのです。復活の主は「弟子たちとペトロに」と名指しで伝言するのです。

ユダヤ教には「仮庵祭」というものがあります。秋の収穫感謝と共に、十戒のみ言葉を神輿に載せて荒野を放浪したモーセを追憶するものです。キリスト教にはありません。無論出エジプトの古事は想起しつつ、神のみ言葉や神、主は神輿で移動しないということです。主は、私たちの心を宮居とするのです。「あなた方は生ける神の神殿」1コリ316のみ言葉は確かです。担ぎ手ペトロは離れた。だが主はそのペトロを忘れません。背く者も、主は苦笑いしつつ共に居られる。