2015年11月15日日曜日

11/15 礼拝の献花とクリスマスの準備、メッセージ

 クリスマスの準備が、礼拝後に行われました。
写真はアニメチックな聖家族。

  玄関ではクリスマスツリーがあります。

  礼拝堂の様子。聖霊をイメージしたという、紫の布です。

  本日の献花。可愛らしい赤い実がなっています。

こちらも聖家族。実は、博士が一人、出奔していましたが、
 めでたく見つかりました。良かったです。

 本日も、徳山では礼拝が守られました。
 本日はみなさんのご都合が重なり、礼拝出席は少なかったのですが、
 それでも協力し合って上記の準備が出来ました。

来週も礼拝は、以下の日程で行われます。
 どなたでもご自由にお集まりください。

 
 11/22(日) 
       徳山10:45~
       柳井10:30~
       防府15:30~
 11/19(木)には、
       益田14:00~ 
       六日市19:30~ です。 どなたでもご自由にお越しください。

 本日の説教要旨です。



【マルコ福音書124144節】
聖書の教えを私たちは難しく考えてしまいます。「愛せよ」「許せよ」「委ねよ」などです。それが実行できれば楽でしょう。できない所で戸惑う私たちです。本来主は、大らかな生き方へ招いたのです。今日の聖書。結論は確かに「委ね」「任せ」であります。だが主は一言も指示せず。女性の生き方を通し「任せる」生き方へと招くのです。

主はエルサレムに入り、議論をいどむあまたの学者を退けた場面でした。神殿の境内で賽銭箱の様子を見られます。当時この賽銭箱には不思議なからくりがありました。献金時に、献金箱に自動ラッパがあって、それが鳴るのです。多額献金者は華やかに鳴る。少額者は鳴らないのです。大勢の金持ちの中、やもめが2レプトンを捧げる。少額でしょう。献金箱は響かなかったでしょう。しかし主が近づき、多くを捧げたというのです。

なぜか。献金額は問題でない。そもそも「入れる様子を見た」の「見た」とは「心を見た」ということです。それでは彼女の心持はいかがか。背景は記載されていないので、想像することしかできません。私たちがこの立ち位置ならどうか。不安もあるでしょう。握りしめる50円玉二枚。金額としてはパン何日分か。日々の糧も買い得る50円玉二枚を、彼女は手放す。握りこぶしから献金箱に入れる。主の心が響くのです。

手元の50円二枚を差し出す時、彼女の心に不安が半分はあったでしょう。もう半分は期待かもしれません。一文無しになる自身に神は何を成すか、神に委ねたら神は何を成すかということです。主はその不安と期待とを見たのです。完全な、立派な委ねる心でなくとも、半分や四半分の信頼でも主は見られます。今の自身の課題を、問題を、つらさを、主はどのように解決されるのでしょうか。一歩、踏み出してみたい。