ご自宅のバラを剪定した教会員が、お花のおすそわけをして下さいました。
バラの花です。
日曜日も、山陽三教会では礼拝が行われました。
写真は本日撮ったために、日曜日には劣りますが、それでも十分です。
今週、来週ともに、シオン教会では礼拝が以下のように
行われます。何れの礼拝、集会もどなたでもご自由にお集まりいただけます。
来週も礼拝は、9/6(日)
徳山10:45~
柳井10:30~
防府15:30~
9/3(木)には、
益田14:00~
六日市19:30~ です。 どなたでもご自由にお越しください。
【マルコ福音書7章1-15節】
食前に手を洗うか否か。誰もが「手を洗いなさい」と言われた経験をお持ちでしょう。ユダヤの社会でも手洗いは大切でした。宗教上の問題と衛生上の観点からです。ところが手洗いがおろそかになることがあります。水が貴重品という背景もありました。当時、監視の意味を込めてユダヤの宗教者が規定違反を摘発していました。特にイエスさまや弟子たちは要注意扱いでした。聖書はその出来事を私たちに語ります。
当時のユダヤの宗教者は「汚れ」を問題とします。「汚れ」は「コイノス」と原語で云います。これは元々は「公共」の意です。教会とは神と人との「コイノニア」の場です。この原語は「コイノス」でした。誰もがそのままで神さまの前に集い、人と接することが出来ます。でもユダヤの宗教者は「公共」を「汚れ」と看做します。ユダヤの宗教者には、神の前に「そのまま」はあり得なかったということなのです。
イエスさまはこの宗教者たちの言葉を聞いて「神の掟を捨てる」と厳しく言われます。食前規定が「神の掟の放棄」と。なぜか。主にとって食事とは生命の維持という意味だけではないのです。食事とは神と人との交わりのためなのです。イエスさまにとって、礼拝も交わりだが、食事も交わりなのです。うしろめたい所があっても、それを何と言われようとも、イエスさまは、誰をもみ前に集うことを喜ばれます。
主はそのままの姿でご自身の元に来る人を拒みませんでした。「そのまま、ありのまま」の教えに生きた。教会はこの主の教えを大切にする群れです。特に礼拝後の交わりを「コイノニア」と呼ぶことがありますが、これは「そのままを大切にする群れ」ということ。私たちは、シオン教会の群れとして、その教えをを大切に生きたい。