2014年11月23日日曜日

11/23 礼拝献花とメッセージ


 昨日から、周南市徳山は9月上旬を思わせる陽気でした。
 
 本日も、秋らしい天気の中で、礼拝と愛さんが守られました。

 愛さんは、カレー粉から作ったというカレーライス。
 何か懐かしい味わいでした。

 礼拝後は、来週から始まるアドベント(クリスマス前の待降節)
 のための、礼拝堂内外の整備が行われました。





 礼拝堂には、「聖霊の風」をイメージした布が登場。





 礼拝堂の中をぐるりと取り囲んでいます。


受付には、イエスさまの降誕の様子を物語る、降誕人形劇(Nativity)。




 クリスマス・ツリーも玄関でお出迎えです。




 一方、今まで玄関にいたアドベント・キャンドルは、礼拝堂に移動しました。
 これから一週間ごとに、ロウソクが一本ずつ灯ります。
 11/30.12/7.12/14.12/21に灯ります。

 





 玄関ではリースが、礼拝堂壁面にはイルミネーションが準備されました。

 あと数時間後、どんなになるでしょうか。

 来週も礼拝は、11/30(日)10:45~行われます。
 どなたでもご自由にお集まり頂けます。

 本日の礼拝メッセの要旨です。

 


説教要旨】 マタイによる福音書2531-46節 
「善行は良い結果を、悪行は悪い結果を伴う」とは、よく知られた言葉です。今日の聖書もその類型に倣いますが、最終的にイエスさまはその類型を突破されました。聖書はいわゆる「最後の審判」の記述です。いずれ、左右の裁きの座の前に立たされる私たちです。元々は、苦労の中で善を行う弟子たちを励まし、無為である敵対者たちへの裁きという意味がありました。

とは言え、本当の意味で弟子たちは善であったか。やがて弟子たちは、善側の人々と真反対になってしまいます。人は、善を為し得る時も、為し得ない時もあるものなのです。今日の聖書と自身を照らし合わせて読めば、私たちは山羊の側となってしまうのでしょう。しかしイエスさまは、み言葉で私たちを絶望させるか。み言葉から絶望のみを受け取ってはなりません。

確かに聖書には、微に入り細に至ることが記載されている。しかし、正しい人も無為の人も、自らの行いが選びの指針とは気付きません。神の選びは人の思いを越えるのです。自らを山羊や羊だと、今のうちから決めてしまうのは宜しくないことです。そもそも十字架上で犯罪者の一人に主は何を語るか。主に向かう心ゆえに、天国を約された主の言葉を思いだしたいのです。

 それは、今日の聖書を味気なくさせることでしょう。実もフタもなくしていまいます。でも、それが神の愛です。因果応報や当時の宗教観とも真っ向から対立するのです。私たちは、誰もが「私は山羊の側」と言わざるを得ない者です。だが主は、十字架の最期に至るまで、罪深き者と向き合い、赦されたのです。だから私は、皆さんこそまことの「羊」と言い得ます。羊のような迷える日々です。だが、主のもとにある赦しを見据え、やがて「緑の牧場」に集いたい。

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