2014年10月26日日曜日

10/26 礼拝献花とメッセージ

  本日は、宗教改革記念礼拝の日でした。
 献花は、本日も「野の花を見よ」ということで捧げられています。

こちらは、来るアドベント(待降節)に備えて献品されたものです。

 礼拝は聖餐式を伴って本日も行われました。
 礼拝後には、ムカゴのおにぎり、豚汁を頂きました。

 来週も礼拝が11/2(日)10:45~行われます。
 どなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。

 本日の礼拝説教の要旨です。



説教要旨】 ヨハネによる福音書831-36節 
1517年のこと。ローマのシスティナ聖堂の改修費が不足していました。そこで教会は改修金を徴収することにし、各国に献金額を割り当てました。ドイツでは、献金箱にお金を入れると、その音で罪の赦しが得られると公然と説かれていました。ルターは当時の教会の「罪の赦し」の教えへの疑問を発し、宗教論争の結果、プロテスタント教会が誕生するに至ったのです。

ルターの話は聖書にも重なり合わせることが出来ます。「罪の赦し」を為すものは、当時の理解を大雑把に記せば「金銭」。でも今日の聖書は「真理はあなた方を自由にする」と記します。罪からの自由です。主のこのような言動は、面子と収入を潰された指導者から恨まれます。主の十字架への布石です。献金不要論ではありません。先立つのは何かということなのです。

本日の第二朗読にも大事なことが記載されています。「信仰による義しさ」の箇所。この聖書の原文を、二通りに訳すことが出来ます。「主への信仰で義」そして「主の真実で義」です。これも大雑把にいえば、私たちの信仰行為(礼拝、奉仕)以上に、主が十字架で為して下さったことが大切というのです。信仰不要論ではありません。何が第一に来るか、ということです。

 何度もお話ししますが、「天国の鍵」の話がありますね。私たちがやがて頂戴する二冊の本「善行の書」「悪行の書」があります。悪行の書には本来「罪の奴隷」としてまことに多くが記載されている、のでしょう。しかし私たちは、主の十字架以後に生きるものですし、それを聖書を通して常に想起し得るのです。それは「主の言葉に留まる」ことで為し得ます。主が木ならば、私たちはブドウの実。主から多くの栄養を頂く者として、今週も過ごしましょう。