2015年3月15日日曜日

3/15 礼拝献花とメッセージ

  本日の礼拝献花です。いつもとは少し趣を変えた方向から。

  今日は教会で、教会員が主催する音楽教室のコンサートが行われました。
 始まりには、子どもたちの合唱。
この後、一人のこどもが恥ずかしがって逃亡!

 本日も礼拝が守られ、礼拝後にはおにぎりとお味噌汁、玉子サラダ、フルーツサラダの愛さんが行われました。

 教会の全ての集会はどなたでもおこし頂けます。
 来週も礼拝は、3/22(日)10:45~行われます。
 本日の メッセージです。

 

ルターはこの316節を「小聖書」と呼びます。特に16節以前を読むと、ルターの意図が分かります。13節「モーセが荒野で蛇を上げた」。蛇は、旧約の伝統では忌避されつつも好まれるという二重性があります。即ち蛇は、害毒と癒しの象徴。主は蛇の高挙と自身の十字架を同じに扱います。即ち「十字架刑」へのご自身の理解は、傷ついた人々への癒しの意味なのです。

何といっても、16節の言葉は真に有名です。ただ、より深く意味を知る鍵言葉は「滅び」。神が、み子を与えたその理由は「滅び」を防止するためです。「滅び」とは聖書頻出の言葉です。ルカ15章。羊飼いは羊を,婦人は銀貨を、父親は息子を愛します。だが羊も銀貨も息子も主人を「離れ」ます。「滅び」なのです。言葉は強烈だが、あるべき場所からの喪失なのです。

人の本質的な居場所は神のみ許です。だが人は地上の生涯で「滅びの道」を行くものです。それは「荒野の蛇」が証ししています。出エジプト時、ユダヤの人々の空腹を見て神はマナを与えます。人々は当初満足しますが、飽きて不平不満を言います。神は悲しみ怒り、炎の蛇を下すのです。けれど神は「炎の蛇」は送りません。代わりにみ子を送った。まさに「小聖書」です。

「与えた」とは所有権の移譲です。この世に顕現され2千年。今週も私たちと共にあるのです。かつて神は炎の蛇を送りました。私たちも、現実的に自身を傷つけるものを思います。私たちが炎の蛇となり得る可能性もあります。あの弟子たちのように。それでも他の弟子が言います。「艱難,苦しみ,迫害,飢え,,危険,剣も、キリストの愛から私たちを離し得ない(ロ8)」と。聖書的に今や主の所有権は私たちです。その実、私たちを所有する主イエスさまを思います。

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