2018年12月16日日曜日

12/16 礼拝と献花とミニコンサート

 17時前後の教会のイルミネーションです。

 21時前後の教会のイルミネーションです。
 12/16 教会での礼拝後、ミニコンサートがありました。

 12/16 聖壇の様子です。
  12/16 ミニコンサートの様子でした。
  12/16 お昼の様子です
  教会イルミネーションその2 21時前後です。
今日の子ども説教(メッセージ)で読まれた本です。

 今週、来週と礼拝は以下の日程で行われます。

12/18 火曜日 15時 徳山聖書研究会
 
12/19 水曜日 11時 牧師 柳井出張
 
12/20   木曜日 牧師 呉安浦 出張
 
12/21 金曜日 牧師 呉安浦 出張

12/22 土曜日 19時 六日市礼拝 

12/23 日曜日   10時45分 徳山教会礼拝
  
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。

今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。


【ルカ福音書1章26-38節】
 ひと昔前「想定外」という言葉を用いて寵児となった経営者がいましたが、最近は「想定外」はもはや通用しないほどになりました。思いや経験を越えた出来事が多発した今年でした。「マリアの受胎告知」も、マリアにとっては「想定外」の出来事だったでしょう。多数の作曲家によって「アヴェ・マリア」には美しく、悲しいメロディが付けられています。ただその原詩を語ったマリアの心境は如何だったのか。それが今日の聖書です。そして聖書はただ昔を語るのみでない。「想定外」に生きる私たちにも語り掛けるのです。

 今日の聖書には「ガブリエル」という名前付きの天使が登場します。同名の天使は旧約にも登場します。役割は「幻の解説」です。福音書を書いたルカは「幻の解説」の役割を、天使ガブリエルを通して、エリサベトとマリアに為すのです。エリサベトは主題から外れますが、マリアにとって妊娠とは「幻のような出来事」でなく、「幻であって欲しい出来事」でした。婚約中のマリアですので、妊娠が発覚すれば婚約は当然破談、マリアの身も危ういことになります。具体的には、こぶし大の石で科される石打刑が待つのです。

 マリアも戸惑っています。アヴェ・マリアの曲の美しさとは異次元の困惑が広がります。この時マリアはおよそ14歳。将来を夢見る可憐な乙女の、将来も可憐さも打ち砕く残酷な知らせでした。最終的にマリアは、妊娠を受容しますがその過程には、理不尽を嘆く気持ち、困惑の思いが行き交ったのでしょう。ここに私たちとの関連性、連続性を見出すことが出来ます。「想定外」の出来事に私たちも日々向かい合っていますから。

 そのマリアに「天使」が為したのが「主が共にある」という言葉かけでした。「天使」は「み言葉を運ぶ者」という意味がある言葉です。マリアと同様、私たちもあがきつつ、もがきつつ、諸事を受け入れるしかありません。聖書は教会を通してみ言葉を私たちに運びます。教会は私たちにとっての「天使」の役割なのです。そして、聖書が語り掛けることは「主が共にある」。いかなる出来事に向かい合っても、主と共に前に進みたい。
 

2018年12月9日日曜日

12/9 礼拝とイルミネーション

  12/8 雪がちらつく徳山Cでクリスマスイルミネーションの準備が行われました。
 12/8 何かの形になりつつあります。
  12/6 クリスマスイルミネーションの一部を撮影しました。
  牧師室外壁です。
 12/9 徳山礼拝後の1ショットです。
曇り空でしたが、夜、どのように光るか楽しみです。

今週、来週と礼拝は以下の日程で行われます。

12/11 火曜日 午前 水原牧師 柳井 


        15時 徳山聖書研究会 
 
12/14   金曜日 牧師 呉安浦 出張

12/15 土曜日 12時 益田教会クリスマス礼拝 
           19時 六日市礼拝 

12/16 日曜日   10時45分 徳山教会礼拝
        12時 礼拝後、バイオリンとチェロとピアノのミニコンサート


いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。

今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。


【ルカ福音書 3章1-6節】
 イエスさまが実在したのかどうか。学者と呼ばれる方々は主の実在を、聖書以外の様々な古代資料の分析を通して行っています。主と同時代の歴史家たちは、主の事柄を自身の著作に記載していることは確かです。今日の聖書の記載者、ルカも、主を当時の時代背景に照らして記しています。「皇帝ティベリウスの治世の第15年」という記載から、主の活動開始年と十字架(復活)の年代が分かるのです。活動開始が西暦29年、十字架と復活が西暦32年です。ついでに言うと、主の誕生は紀元前4年と思われています。

 さて、聖書は冒頭で、当時の人物の役職や名前を記載しています。このことが意味するのは、今日の主要人物である洗礼者ヨハネや主も、時代の中に生き、時代にほんろうされたということです。冒頭記載の人物はそのほとんどが、ヨハネや主の刑死に関わりのある人物です。「時代にほんろうされる」というと話が大きくなりますが、要は「人間社会の荒波にもまれ、困難を味わった」ということです。それは私たちにも重なりますね。

 その「時代からのほんろう」「人間社会の荒波」を、聖書はイザヤ書からの言葉を借りて「谷や山、曲がった道やでこぼこの道」と表現します。ユダヤの国土は日本と同様、起伏に富み春夏秋冬があったようですが、果たしてイザヤやルカは、ユダヤに住む人なら当たり前に思うことを伝えたいだけなのか。これらの「谷や山」とは、単に自然の描写でなく、ヨハネや主、そして聖書を読む私たちの人生そのものでないか、と訴えるのです。そして時に私たちは、「谷や山」を歩くことも、誰かに「谷や山」を強いることもあります。

 ヨハネが言う「悔い改め」とは、被害者としての私たちだけでなく、加害者としての私たちの生き方を、神さまのみ前に改めることに他なりません。そしてキリスト教の悔い改めとは、神さまは常に私たちの方を向いている。その方に向き直ることを告げるのです。そして主は、いと高き天に留まらず、地上に生まれ、人の荒波に揉まれました。だからこそ「主が共にある」の言葉が輝いてきます。どんなあなたでも、主が共にあります。
 
























2018年12月2日日曜日

12/2 礼拝と献花とアドベント


  礼拝後、クリスマスの飾りつけをいたしました。
 徳山教会の壮年たちです。
  設置しましたが、まだ光は見えません。昼間ですものね。

  アドベント第一主日の献花でした。

  子どもたちが、教会の方々と一緒にツリーの飾りつけです。
 この木は、右のご婦人が教会に植えたものです。

アドベントロウソクたてと燭台です。
 手前の黒いお皿は、子ども用のアドベントロウソク立てです。

 今週、来週と礼拝は以下の日程で行われます。

 12/4 火曜日   午前 水原牧師 柳井 

          15時 徳山聖書研究会 
 
 12/5 水曜日   牧師 出張

 12/6   木曜日   牧師 呉安浦 出張

 12/8 土曜日   牧師 大阪 出張
          13時 益田市小浜礼拝 休会といたします。 
             14時 益田教会礼拝 家庭礼拝といたします。
             19時 六日市礼拝 家庭礼拝といたします。

   12/9 日曜日   10時45分 徳山教会礼拝


いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。

今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。



【ルカ19章28-44節】
 史上初のキリスト教の讃美歌は何か、という問いを考えたことがあります。時代が古い歌はいくつもありますが、「キリスト教の」讃美歌と限定した時には、今日の聖書に登場する文言もその候補の一つです。弟子たちが主を「主に祝福、天に栄光」と歌いかけるからです。賛美とは、神さまや主をほめたたえるものです。しかし弟子たちの賛美の言葉はさらにその由来をさかのぼることが出来ます。主降誕時の天使による讃美歌です。

 主降誕時、天使たちは「天に栄光、地に平和」と歌います。しかしここで弟子たちは「天に栄光」のみを歌うのです。なぜ「地に平和」と歌わないのか。弟子たちの単純なミスかもしれない。一方で弟子たちは主に「地の平和の実現力」を見出せなかったのかもしれない。主は確かに神さまのご栄光を、奇跡という形で示されましたが、一方で宗教者たちとは軋轢を深められる一方でした。また主ご自身もこのエルサレム入城に際して選ばれた乗り物がロバの子。それらを総合的に見て弟子たちは主に幻滅したかもしれません。

 主がロバの子に乗ることは、旧約聖書の預言に従っての事でした。「主が聖書に従った」ことは、「神に栄光を帰す」ことです。しかし「ロバの子に乗る姿」はいかにも貧相です。外見だけで弟子たちは判断した。また歓声をあげて出迎えた人々も、その数日後掌返しをしてしまった。なぜ主はここで「まだ誰も乗ったことのない子ロバ」を求められたのか。それは、「どんな小さなものでも主が用いて下さる」ことを表すためでした。

 主はこの後、「地の平和」のために十字架に架けられます。「地の平和」とは、大きな意味では世界平和ですが、小さな意味では「地上の一員である私の平和」ということです。主は私の平和と平安のためにクリスマスにお生まれになったのです。その主が教会の礎となり、今の私たちの傍に居るのです。教会が無かったら、私たちはきっとそれぞれの場所で苦労しつつ生きていたでしょう。今も苦労は変わりません。しかし私たちに休み処があるのです。「天に平和、地に栄光」私たちは今年も主にこの賛美を捧げたい。