2024年6月5日水曜日

6/2 徳山と防府

 

 6/2(日)防府の礼拝堂でした。白→緑は来週。

 入院中の、会員のことを覚え祈りました。

 6/2(日)徳山の礼拝堂(撮影は火曜日?)

 奥は、召天者記念堂となっています。

 聖壇から礼拝堂。
 入り口から聖壇。

 今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

6/8 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

6/9 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

6/11  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

6/15 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

6/16 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

■ マルコ2:23~27(新64)

■ 説教              「生きることが、喜ばれる」 

   「安息日」の起源は、出エジプト記です。「出エジプト」を聖書は、「男性のみで60万人(出12:37)」と語ります。エジプト史には、100万人単位の「奴隷逃亡」記録はないとのことです。実際は、小規模移動と憶測します。ただ、自給自足の逃亡中の「休み」は、皆が疲労を癒す大事な時でした。それを「神の創造の休み」からの意義付けとしたのでしょう。

 

  聖書の場所は「カファルナウム(ペトロの町)」。安息日には、火を使えません(出エ35:3)から、「前日の“煮込んだ”料理」。ペトロの家族に「料理させる」選択肢はありません。自宅で煮込みを皆で分かち合い、頂くのが良い選択です。しかし主は、安息日規定に関し疑問がありました。「命令と義務」で、「罪びと」が量産されている事態への疑問でした。

 

  主の視点は、「神を覚える」安息日は、元来「人のために定められた(27)」ことです。上記の通り、一週間の疲れを癒す時が、神の創造の業と重ねて定められたのです。ところが主の時代、規定違反者は「罪びと」とされていました。そのことは「麦を摘む」ことが、安息日の禁止事項とされていることからも推測できます(24)。主は古事を引用し語ります。

 

  引用されたダビデの話の前提は、サウルの殺意を受けて逃亡中の時です(Ⅰサム21)。安息日に、ダビデはサウルから逃げます。同行中の他者に労働を強制できず、当然、煮込みも盗めない。いわば「緊急事態」に、「神に捧げられたパン」を頂いた話です。この世は「義務と禁止」が多くあります。その中で「生きることを喜ぶ神さま」を思い、過ごしたい。


2024年5月29日水曜日

5/26.29 徳山と防府

 

5/29(水)徳山チャペルの裏手が、雑草のジャングルになりつつあります。

さすがに本日除草剤を撒きました。

5/29(水)この裏手が雑草ジャングル。礼拝堂内はきれいに保たれています。
5/26(日)防府チャペル。三位一体主日の礼拝でした。

本日の礼拝説教は、以下の通りとなります。

■ヨハネ 3: 1~8 (新167)

■ 説教              「悪人正機」 

    礼拝の中で、「罪の告白」の時間は大切と考えます。「神さまの光に照らされ、過ぎた日を思う」時です。「聖霊」が常在する「場」の助けにより「心を神の方に回す」ことが出来ると言えます。「聖なる場」は主の時代「神殿」でした。しかし主は「宮清め」対象と選びました。「やや冷めている弟子たち」(2:17)と逆に、「議員ニコデモ」は主に興味を持ちます。

 

ニコデモは神殿制度内の人で、当時「祭儀制」は宗教、経済の根幹を担うものでした。祭司層は十戒を基軸に、通常は市井、年2回はエルサレム神殿で人々に「罪の自覚」を促します。人々は祭儀や巡礼を通して、物流を生み出します。神殿は潤い、人々は安心を得るのです。制度内に居ながらニコデモは、主の「宮清め」の行為に、異常な関心を示します。

 

    主は「宮清め」に際し、「父の家(2:16)」では神を想起するとの提言を行いました。「祭儀、儀式」は二の次です。「夜」主を訪ねたニコデモは主を「神の教師(3:2)」と評します。過去、神殿無き捕囚の場所(バビロン)で、預言者たちは神さまへの回帰を説きました。ニコデモも主も「神殿経由」ではなく、まず神を思い起こすという点で一致したのです。

 

    上記の例は、旧約のエゼキエル書です。捕囚第二世代の彼は「悪人正機(33:11)」と日本語で見做せる教えを説きます。神殿無く、祭儀も難しい場所で、神さまは「悪人」もその光で照らすと言われます。「新たに生まれる(3)」とは、現状の中で、原点に立ち返り、日々を過ごすことと言えます。「聖なる場」から出る私たちは、日々をそのように生きたい。


2024年5月21日火曜日

5/10.18.19 西宮、防府、徳山、外清掃 

 

 5/10(金)主任牧師を務める西宮教会に出かけてきました。

 牧師が非在住の教会ですが、信徒の方々のご奉仕によって美観が整えられています。

 5/19(日)防府の礼拝堂。ペンテコステの礼拝が行われました。


 5/20(月)あまりにも草木が伸びていたので、午前中の涼しいうちに伐採。
 5/21(火)朝の礼拝堂。徳山でした。

 久しぶりの更新となりました。

 今週以降の予定は下記の通りです。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

5/25 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

5/26 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

5/28  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

6/1 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

6/2 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

■使徒言行録2: 1~21 (新214)

■ 説教              「目を外に向けよ」 

    「聖霊降臨祭(ペンテコステ)」を迎えました。クリスマスは神さまを、イースターは主イエスを、この日は「聖霊」を覚えます。それでは、「聖霊」が何を行ったことを覚えるのでしょうか。弟子たちと市井の人々の間の「見えない壁」を取り去り、「自己完結」の弟子たちを、「伝道」へと向かわせたのです。「教会の誕生日」とも言えるこの日の箇所を見たい。

 

    「聖霊降臨祭」の用語は聖書にはありません。事は「五旬祭」に起こりました。日程は初夏で「五十日後祭」です。「過越祭」を起算とし、「エジプト脱出」から50日後、伝承では「十戒授与」と「麦の収穫」も覚えました。レビ23章では、人々は「初穂のパン2つ」と諸々を捧げる規定があります。その状況でエルサレム参拝の人々は唐突なことに直面しました。

 

    「ナザレのイエスの残党」が、「自分たちのお国言葉」で「神の偉大な業(11)」を語っているのです。内容は、「五旬祭の由来」つまり「神の恩寵と人々の不従順」かと。「行軍の厳しさ、モーセの執り成し、恩寵としての十戒授与」と思われるものを、弟子たちは実感を込め語ったのです。 「出エジプトの人々」と自分たちを重ね合わせた「証し」なのです。

 

    それは「地方人」には福音でした。公式かつ一語の翻訳「七十人訳聖書」は、50年後です。神の働きを聞いた人々は、中には「あざける」行為に走るものもいましたが、概ね好意的に受け止め、教会の誕生となります。神と主イエスは、弟子たちを用いて働かれたのです。「神さまを伝える」その形はそれぞれです。日々の生活で、それを行いましょう。


2024年5月1日水曜日

4/27 28 柳井屋根補修と防府

4/27(土)柳井チャペルの屋根補修が終了しました。
一枚銀となっています。錆止め剤が塗られました。

以前はこのような形でした。


 4/28(日)防府の礼拝堂です。いつもの形、いつもの方々、いつもすばらしい。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

5/4 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

5/5 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

5/7  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

5/11 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

5/12 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

■ ヨハネ 15: 1~ 8 (新198)

■ 説教              「つながりに支えられる」 

    「ぶどうの木」を通して、主は弟子たちや私たちとの「つながり」を語ります。どういう「つながり」か。ヨハネ福音書は、14章から「つながり」がテーマの「告別説教」です。内、14、16章は「み国の約束」17章は「祈り」と、抽象的です。15章の「ぶどうの木」は、想像しやすい話ですが、物騒な「剪定、切除」が登場します。「整える」つながりなのです。

 

   ただ「心を騒がせる(14:1)」弟子たちに「剪定、切除」は、無謀と思えます。既にユダは離れ(13:30)、ペトロの裏切りの示唆の(13:38)中、「切り離す」が弟子たちの与える動揺は、察して余りあります。実は「取り除く(2)」は、「風を入れる(持ち上げる)」の意味です。乱伐でなく、結実しない枝の「いのちの回復」、ただ「タイミング」の悪さは言えます。

 

    主の意図は、「個々の弟子たち」の切除でなく、「弟子たちの個々」の切除と見ます。「私たちの誰か」ではなく、「私の一部分(罪)」です。やがて弟子たちは、特にペトロは自身の罪に気づかされます(21章)。そもそも、弟子たちが「離れる」ことは、主が「今はついて来ることができない(13:7.35)」と明言します。「気づく」ための厳しい言葉なのです。

 

   弟子たちはこの後、主のもとを去ります。その期間を主は、「枯れ枝、実らない枝」を「剪定、切除」する時とします。「焼かれる(7)」は気になりますが、主は「一人の滅びも望まない(3:16)」ため、十字架に向かいます。弟子たちは、自身の「枯れ枝」が主により除かれ、「いのちが回復」されるとに気づき、戻ります。生涯、成長するのです。「望(7)」みたい。


2024年4月17日水曜日

4/13.14 芝桜、さくらんぼ、教会

 

4/14 防府チャペル。さくらんぼがわずかに色づき始めました。


4/14 礼拝堂。相変わらず、水仙の香りは強烈なものが。
4/14 徳山チャペルの芝桜。大道理とは比べませんが、これでいいのです。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

4/20 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

4/21 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

4/23  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

4/27 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

4/28 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

■ ルカ24:36b~48 (新161)

■ 説教              「今日、自分を大切に」 

    ルカ福音書の主イエスは、「復活後」弟子たちの鼓舞に専念します。「エマオの途上」を深刻に歩む二人に近づき「何の話をしているのか」と問う。十字架、墓の不在、輝く衣の二人。奇妙な現象の由来である主本人の言葉に温かみを感じます。日課でも、不思議がる弟子たちを前に「魚を食べる」。「緊張を緩和」させた中で主は、今後のことを語ります。

 

   起こることは「律法と預言書と詩編(44)」の成就です。多岐にわたる内容の開示のため、主は弟子たちの「心の目」を開かれます。すると上記は「受難、復活、悔い改めと宣教」と断言されます。イザヤ53章(受難)、ホセア6、詩編16(復活)、悔い改め(詩編51)に見られます。これまで起きた全てのことは「予定されていた」と主は弟子に言われます。

 

   弟子たちには、この1週間は「天と地がひっくり返る」日々でした。「歓待された」主は、「宮清め」を通し敵を作り、出て行ったユダに手引きされた兵隊に「逮捕」され、受難と死と墓の不在。「色々と起きて、処理能力を超えた」状況と見ます。主は、「予定されていること」であると語ることを通し、何事においても神の守りの中にあったことを告げるのです。

 

   「エルサレムに留まる」ことが日課の続きで言われます。「困難に留まる」ことはルカ福音書の特徴ですが、他の福音書は「ガリラヤに向かう」弟子たちと主を語ることも重要です。留まるのか、場所を替えるのか。4つの福音書が、復活後の弟子たちの場所を既定しないことが大切です。万事に神の守りがある前で、今日という日、自分を大切に過ごしたい。


2024年4月10日水曜日

4/6.7 柳井の屋根補修 防府 徳山桜

 

 4/9 徳山教会の外、秋月小学校のグラウンドの桜です。

 教会には桜吹雪が期間限定で降っています。

 4/7 防府の聖壇。水仙の香りが強く、くっしゃみが。


 4/6 柳井の聖壇。
 4/6 柳井の屋根補修。工事が始まり、足場が組まれました。
 4/6 看板。

4月の予定は以下の通りです。
 

4/13 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

4/14 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

4/16  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

4/20 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

4/21 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

■ ヨハネ20:19~23 (新210)

■ 説教              「シャロームの意味」 

    「ペトロの裏切り」は、どの福音書も描きます。ヨハネ福音書のみは、ペトロへの赦しという意味の「続編、後日譚」を21章で記します。その起点が本日の箇所です。時は過越祭の二日後(つまり日曜日)、場所はエルサレム、11人の弟子たちは直前にマリアから、主に出会ったと聞いたばかりでした。その弟子たちは「ユダヤ人を恐れ(19)」ていました。

 

    「宗教者」という意味の「ユダヤ人」は、何をしたのか。人々、ローマ総督を扇動(ヨハネ19:12)し、主の死刑を決めたこと。十字架というローマの刑具を主に適用し、主の名誉を徹底的に棄損したこと(申21:22)。一連の出来事の暗躍が弟子たちを恐れさせます。その結果は、マリアによる復活証言が、疑心暗鬼の材料となってしまったことでした。

 

出会ったのは「まこと」か。体制側に寝返ったのか。虚言ではないか。罪なき主をいとも容易く極刑に定めたユダヤ人への恐れと、自身の保身がありました。また「熱心さが身を亡ぼす(2:17)」と感想を漏らした後悔もあったと見れます。その真ん中「恐れや不安の中に、主はおられる」のです。表情は穏やかで、主は弟子たちを「遣わす」と言われます。

 

「遣わす」とはこの福音書の重要な言葉です。3:16「神が御子を世に遣わす」と主は言われますが、今主は弟子たちを「ユダヤ人を始めとする」この世に遣わします。困難さは目に見えています。主は、任せきりではなく、必要な時に、必要な人を示します。代表がこの後の「ペトロ」でした。主はペトロを赦し、使命を与えます。それはまた私たちも同じです。



2024年4月4日木曜日

イースター

 

久しぶりの投稿となりました。

母の葬儀、あわただしさのためのことです。

礼拝はこの間、家庭礼拝を含め取り行われました。

また来週から、適度な更新を心がけます。

4月の予定は以下の通りです。

4/6 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

4/7 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

4/8  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

4/13 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

4/14 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

4/16  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

4/20 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

4/21 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

■ マルコ16: 1~ 8 (新97)

■ 説教              「朝の光を背に受けて」 

    「誰にも何も、言わなかった。恐ろしかった(16)」と福音書は結びます。しかしこれは、女性たちの「昔の姿」を、福音書記者マルコが聞き、記したものです。「復活」とは、主によって予告されていました。しかし、女性たちが見た「リアル:現実」は、主の「予告」のお言葉を払しょくさせるものでした。「墓参り」に来た女性たちの心にあったものは何でしょう。

 

    「なぜ」でした。主イエスが「なぜ」裁かれるのか、嫌疑は何か。なぜバラバとイエスが交換されたか、見世物か。なぜ侮辱され、なぜ木に架けられ(申21)、即日の執行なのか。答えの出ない問いの中、処刑を見たのです。そしてせめて主のお体を保つため「油と香料(1)」を求めます。供物から考えれば、主の復活は全くもって信じられていませんでした。

 

    「現実の前に言葉を無くす」状況の女性たちは、驚きの光景を見ます。墓の封印はなく、主のお体もありません。若者が「復活を弟子たちとペトロ」に告げよと言います。「ペトロ」が触れられているのは、「赦されないものはない」ということの現れです。しかし女性たちは「黙し」ました。それは、「かつて」のことでした。復活の伝承は「今この時」に至ります。

 

明確な記載はありませんが、女性たちは復活の主に出会い、力づけられ、それを「誰かに(16)」伝えたのです。マルコ福音書は主を「神の子(1:1、15:39)とします。神の第一の働きとは「存在の肯定(善しとした)」です。現実に打たれ、み言葉を忘れ、逃げ去るものを主は肯定し、使命を託すのです。その主が伝えられ、この日の朝、告げられたのです。