2024年5月29日水曜日

5/26.29 徳山と防府

 

5/29(水)徳山チャペルの裏手が、雑草のジャングルになりつつあります。

さすがに本日除草剤を撒きました。

5/29(水)この裏手が雑草ジャングル。礼拝堂内はきれいに保たれています。
5/26(日)防府チャペル。三位一体主日の礼拝でした。

本日の礼拝説教は、以下の通りとなります。

ヨハネ 3: 18 (167)

 説教              「悪人正機」 

    礼拝の中で、「罪の告白」の時間は大切と考えます。「神さまの光に照らされ、過ぎた日を思う」時です。「聖霊」が常在する「場」の助けにより「心を神の方に回す」ことが出来ると言えます。「聖なる場」は主の時代「神殿」でした。しかし主は「宮清め」対象と選びました。「やや冷めている弟子たち」(217)と逆に、「議員ニコデモ」は主に興味を持ちます。

 

ニコデモは神殿制度内の人で、当時「祭儀制」は宗教、経済の根幹を担うものでした。祭司層は十戒を基軸に、通常は市井、年2回はエルサレム神殿で人々に「罪の自覚」を促します。人々は祭儀や巡礼を通して、物流を生み出します。神殿は潤い、人々は安心を得るのです。制度内に居ながらニコデモは、主の「宮清め」の行為に、異常な関心を示します。

 

    主は「宮清め」に際し、「父の家(216)」では神を想起するとの提言を行いました。「祭儀、儀式」は二の次です。「夜」主を訪ねたニコデモは主を「神の教師(32)」と評します。過去、神殿無き捕囚の場所(バビロン)で、預言者たちは神さまへの回帰を説きました。ニコデモも主も「神殿経由」ではなく、まず神を思い起こすという点で一致したのです。

 

    上記の例は、旧約のエゼキエル書です。捕囚第二世代の彼は「悪人正機(3311)」と日本語で見做せる教えを説きます。神殿無く、祭儀も難しい場所で、神さまは「悪人」もその光で照らすと言われます。「新たに生まれる(3)」とは、現状の中で、原点に立ち返り、日々を過ごすことと言えます。「聖なる場」から出る私たちは、日々をそのように生きたい。


2024年5月21日火曜日

5/10.18.19 西宮、防府、徳山、外清掃 

 

 5/10(金)主任牧師を務める西宮教会に出かけてきました。

 牧師が非在住の教会ですが、信徒の方々のご奉仕によって美観が整えられています。

 5/19(日)防府の礼拝堂。ペンテコステの礼拝が行われました。


 5/20(月)あまりにも草木が伸びていたので、午前中の涼しいうちに伐採。
 5/21(火)朝の礼拝堂。徳山でした。

 久しぶりの更新となりました。

 今週以降の予定は下記の通りです。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

5/25 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

5/26 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

5/28  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

6/1 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

6/2 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

使徒言行録2: 121 (214)

 説教              「目を外に向けよ」 

    「聖霊降臨祭(ペンテコステ)」を迎えました。クリスマスは神さまを、イースターは主イエスを、この日は「聖霊」を覚えます。それでは、「聖霊」が何を行ったことを覚えるのでしょうか。弟子たちと市井の人々の間の「見えない壁」を取り去り、「自己完結」の弟子たちを、「伝道」へと向かわせたのです。「教会の誕生日」とも言えるこの日の箇所を見たい。

 

    「聖霊降臨祭」の用語は聖書にはありません。事は「五旬祭」に起こりました。日程は初夏で「五十日後祭」です。「過越祭」を起算とし、「エジプト脱出」から50日後、伝承では「十戒授与」と「麦の収穫」も覚えました。レビ23章では、人々は「初穂のパン2つ」と諸々を捧げる規定があります。その状況でエルサレム参拝の人々は唐突なことに直面しました。

 

    「ナザレのイエスの残党」が、「自分たちのお国言葉」で「神の偉大な業(11)」を語っているのです。内容は、「五旬祭の由来」つまり「神の恩寵と人々の不従順」かと。「行軍の厳しさ、モーセの執り成し、恩寵としての十戒授与」と思われるものを、弟子たちは実感を込め語ったのです。 「出エジプトの人々」と自分たちを重ね合わせた「証し」なのです。

 

    それは「地方人」には福音でした。公式かつ一語の翻訳「七十人訳聖書」は、50年後です。神の働きを聞いた人々は、中には「あざける」行為に走るものもいましたが、概ね好意的に受け止め、教会の誕生となります。神と主イエスは、弟子たちを用いて働かれたのです。「神さまを伝える」その形はそれぞれです。日々の生活で、それを行いましょう。


2024年5月1日水曜日

4/27 28 柳井屋根補修と防府

4/27(土)柳井チャペルの屋根補修が終了しました。
一枚銀となっています。錆止め剤が塗られました。

以前はこのような形でした。


 4/28(日)防府の礼拝堂です。いつもの形、いつもの方々、いつもすばらしい。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

5/4 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

5/5 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

5/7  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

5/11 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

5/12 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

■ ヨハネ 15: 1 8 (198)

 説教              「つながりに支えられる」 

    「ぶどうの木」を通して、主は弟子たちや私たちとの「つながり」を語ります。どういう「つながり」か。ヨハネ福音書は、14章から「つながり」がテーマの「告別説教」です。内、14、16章は「み国の約束」17章は「祈り」と、抽象的です。15章の「ぶどうの木」は、想像しやすい話ですが、物騒な「剪定、切除」が登場します。「整える」つながりなのです。

 

   ただ「心を騒がせる(141)」弟子たちに「剪定、切除」は、無謀と思えます。既にユダは離れ(1330)、ペトロの裏切りの示唆の(1338)中、「切り離す」が弟子たちの与える動揺は、察して余りあります。実は「取り除く(2)」は、「風を入れる(持ち上げる)」の意味です。乱伐でなく、結実しない枝の「いのちの回復」、ただ「タイミング」の悪さは言えます。

 

    主の意図は、「個々の弟子たち」の切除でなく、「弟子たちの個々」の切除と見ます。「私たちの誰か」ではなく、「私の一部分(罪)」です。やがて弟子たちは、特にペトロは自身の罪に気づかされます(21章)。そもそも、弟子たちが「離れる」ことは、主が「今はついて来ることができない(137.35)」と明言します。「気づく」ための厳しい言葉なのです。

 

   弟子たちはこの後、主のもとを去ります。その期間を主は、「枯れ枝、実らない枝」を「剪定、切除」する時とします。「焼かれる(7)」は気になりますが、主は「一人の滅びも望まない(316)」ため、十字架に向かいます。弟子たちは、自身の「枯れ枝」が主により除かれ、「いのちが回復」されるとに気づき、戻ります。生涯、成長するのです。「望(7)」みたい。


2024年4月17日水曜日

4/13.14 芝桜、さくらんぼ、教会

 

4/14 防府チャペル。さくらんぼがわずかに色づき始めました。


4/14 礼拝堂。相変わらず、水仙の香りは強烈なものが。
4/14 徳山チャペルの芝桜。大道理とは比べませんが、これでいいのです。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

4/20 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

4/21 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

4/23  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

4/27 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

4/28 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

■ ルカ24:36b48 (161)

 説教              「今日、自分を大切に」 

    ルカ福音書の主イエスは、「復活後」弟子たちの鼓舞に専念します。「エマオの途上」を深刻に歩む二人に近づき「何の話をしているのか」と問う。十字架、墓の不在、輝く衣の二人。奇妙な現象の由来である主本人の言葉に温かみを感じます。日課でも、不思議がる弟子たちを前に「魚を食べる」。「緊張を緩和」させた中で主は、今後のことを語ります。

 

   起こることは「律法と預言書と詩編(44)」の成就です。多岐にわたる内容の開示のため、主は弟子たちの「心の目」を開かれます。すると上記は「受難、復活、悔い改めと宣教」と断言されます。イザヤ53章(受難)、ホセア6、詩編16(復活)、悔い改め(詩編51)に見られます。これまで起きた全てのことは「予定されていた」と主は弟子に言われます。

 

   弟子たちには、この1週間は「天と地がひっくり返る」日々でした。「歓待された」主は、「宮清め」を通し敵を作り、出て行ったユダに手引きされた兵隊に「逮捕」され、受難と死と墓の不在。「色々と起きて、処理能力を超えた」状況と見ます。主は、「予定されていること」であると語ることを通し、何事においても神の守りの中にあったことを告げるのです。

 

   「エルサレムに留まる」ことが日課の続きで言われます。「困難に留まる」ことはルカ福音書の特徴ですが、他の福音書は「ガリラヤに向かう」弟子たちと主を語ることも重要です。留まるのか、場所を替えるのか。4つの福音書が、復活後の弟子たちの場所を既定しないことが大切です。万事に神の守りがある前で、今日という日、自分を大切に過ごしたい。


2024年4月10日水曜日

4/6.7 柳井の屋根補修 防府 徳山桜

 

 4/9 徳山教会の外、秋月小学校のグラウンドの桜です。

 教会には桜吹雪が期間限定で降っています。

 4/7 防府の聖壇。水仙の香りが強く、くっしゃみが。


 4/6 柳井の聖壇。
 4/6 柳井の屋根補修。工事が始まり、足場が組まれました。
 4/6 看板。

4月の予定は以下の通りです。
 

4/13 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

4/14 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

4/16  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

4/20 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

4/21 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

■ ヨハネ20:1923 (210)

 説教              「シャロームの意味」 

    「ペトロの裏切り」は、どの福音書も描きます。ヨハネ福音書のみは、ペトロへの赦しという意味の「続編、後日譚」を21章で記します。その起点が本日の箇所です。時は過越祭の二日後(つまり日曜日)、場所はエルサレム、11人の弟子たちは直前にマリアから、主に出会ったと聞いたばかりでした。その弟子たちは「ユダヤ人を恐れ(19)」ていました。

 

    「宗教者」という意味の「ユダヤ人」は、何をしたのか。人々、ローマ総督を扇動(ヨハネ19:12)し、主の死刑を決めたこと。十字架というローマの刑具を主に適用し、主の名誉を徹底的に棄損したこと(申21:22)。一連の出来事の暗躍が弟子たちを恐れさせます。その結果は、マリアによる復活証言が、疑心暗鬼の材料となってしまったことでした。

 

出会ったのは「まこと」か。体制側に寝返ったのか。虚言ではないか。罪なき主をいとも容易く極刑に定めたユダヤ人への恐れと、自身の保身がありました。また「熱心さが身を亡ぼす(217)」と感想を漏らした後悔もあったと見れます。その真ん中「恐れや不安の中に、主はおられる」のです。表情は穏やかで、主は弟子たちを「遣わす」と言われます。

 

「遣わす」とはこの福音書の重要な言葉です。3:16「神が御子を世に遣わす」と主は言われますが、今主は弟子たちを「ユダヤ人を始めとする」この世に遣わします。困難さは目に見えています。主は、任せきりではなく、必要な時に、必要な人を示します。代表がこの後の「ペトロ」でした。主はペトロを赦し、使命を与えます。それはまた私たちも同じです。



2024年4月4日木曜日

イースター

 

久しぶりの投稿となりました。

母の葬儀、あわただしさのためのことです。

礼拝はこの間、家庭礼拝を含め取り行われました。

また来週から、適度な更新を心がけます。

4月の予定は以下の通りです。

4/6 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

4/7 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

4/8  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

4/13 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

4/14 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

4/16  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

4/20 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

4/21 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

■ マルコ16: 1 8 (97)

 説教              「朝の光を背に受けて」 

    「誰にも何も、言わなかった。恐ろしかった(16)」と福音書は結びます。しかしこれは、女性たちの「昔の姿」を、福音書記者マルコが聞き、記したものです。「復活」とは、主によって予告されていました。しかし、女性たちが見た「リアル:現実」は、主の「予告」のお言葉を払しょくさせるものでした。「墓参り」に来た女性たちの心にあったものは何でしょう。

 

    「なぜ」でした。主イエスが「なぜ」裁かれるのか、嫌疑は何か。なぜバラバとイエスが交換されたか、見世物か。なぜ侮辱され、なぜ木に架けられ(申21)、即日の執行なのか。答えの出ない問いの中、処刑を見たのです。そしてせめて主のお体を保つため「油と香料(1)」を求めます。供物から考えれば、主の復活は全くもって信じられていませんでした。

 

    「現実の前に言葉を無くす」状況の女性たちは、驚きの光景を見ます。墓の封印はなく、主のお体もありません。若者が「復活を弟子たちとペトロ」に告げよと言います。「ペトロ」が触れられているのは、「赦されないものはない」ということの現れです。しかし女性たちは「黙し」ました。それは、「かつて」のことでした。復活の伝承は「今この時」に至ります。

 

明確な記載はありませんが、女性たちは復活の主に出会い、力づけられ、それを「誰かに(16)」伝えたのです。マルコ福音書は主を「神の子(1:1、1539)とします。神の第一の働きとは「存在の肯定(善しとした)」です。現実に打たれ、み言葉を忘れ、逃げ去るものを主は肯定し、使命を託すのです。その主が伝えられ、この日の朝、告げられたのです。


2024年3月12日火曜日

3/9.10 久しぶりに揃った柳井、徳山、防府

 

 3/12(火)の徳山チャペルの礼拝堂です。

 奥行きがある教会です。

 3/10(日)防府チャペルの礼拝堂。

 いつもの撮影位置からの写真です。

こちらは3/9(土)柳井チャペルの礼拝堂。

献花も四旬節カラーとなっています。

3月の予定は以下の通りです。

3/16 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/17 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

3/19  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

3/23 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/24 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

3/26  火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

3/30 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/31 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

■ ヨハネ3:1417 (167)

 説教                 「やがて朝になる」 

    ヨハネ福音書3章16節は、主イエスが「神さまの愛」を告げた箇所です。この箇所には、徹底した受容があります。「滅びない」「裁かない」「与える」と、主は神の意思を述べます。「福音の福音」「小さな聖書」「金のみ言葉」という表現もあります。主の目前にはニコデモがいました。「滅び」「裁き」に関わる議員職にある彼に、主は何を届けたのでしょうか。

 

    唐突な「モーセが荒野で蛇を挙げた(14)」は、「管理職」モーセの悲嘆が聞こえる箇所です。原典は民数記21章。20章でモーセは、姉ミリアムと弟アロンを看取ります。ユダヤの人々はその状況でも変わらず文句を言い、神のマナを「惨めな食物」とします。かつて「はちみつクッキー(出エ16:31)」「クリーム(民11:8)」と呼んだ味の食べ物なのに…。

 

    神は即座に「炎の蛇」を下します。モーセは「自業自得」と喜んだか。否、複雑な心境と察しますが、神に執り成し、「青銅の蛇」を掲げて人々を癒します。主はモーセが蛇を掲げた神の業と、「人の子も挙げられる」と併記します。意図は目前のニコデモに神の愛と癒しを示すためでした。ニコデモは、直前の主の「宮清め」の始末を委ねられたと見做せます。

 

ニコデモは神殿が、神の名による集金場所と化す現状への悩みを持っていたと思えます。だから「夜」主の元を訪ねます。宗教が「滅び、裁き」を発してよいのかという問いです。そのニコデモに主は「神の愛」を語りました。出発点を示されたニコデモは、同僚に報告し、その後も聖書に登場します。「神の支え」の中で、勇気をもって、日々の働きに勤しみたい。