2024年12月24日火曜日

12/21.22 柳井クリスマスコンサート、防府

  本年度、 クリスマスの行事は以下のとおりとなります。

 12/24(火)19:30  徳山チャペル クリスマス・イブ礼拝

 それぞれ、どうぞご予定に入れて頂ければ幸いです。


 徳山チャペルの裏を掃除していたら、カエルが落ち葉の中で寝ていました。

 写真を撮りましたが、掲載はさすがに。


12/22(日)防府チャペルのクリスマス礼拝前の一枚です。


12/21(土)柳井チャペルのクリスマス・ミニ・コンサート。

その前。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

12/28 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

12/29 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

12/31 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝  家庭礼拝です。

1/4 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

1/5 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

ルカ1:3945 (100)

 説教              「困った時こそ神頼み」 

    「エリサベトの賛歌は、創作意欲を後代の音楽家たちに与えました。「アヴェ・マリア(42)」の音楽曲は、穏やかです。「原作」マリアの「受胎告知」時は穏やかだったのか。29節マリアは「戸惑い、考え込み、否定(2934)」します。しかし神は、良い道を備えます。

 

    さかのぼるマリアの悩みの原因は、迫る「命の危険」でした。受胎の事実が表になれば、マリアは「石打刑(ヨハネ8章)」となります。同時期、夫ヨセフはマタイ福音書で「正しく」「表ざたにしない」と判断します。「律法よりも命」の理解を、聖書は「正しい」と判じます。

 

夫ヨセフ以上に、「当事者」である神は動きます。天使を通し、マリアに「良い道」である「親類エリザベト(36)の妊娠」を告げます。天使の言葉を聞き逃さず、マリアは「ユダの町(39)」への100キロを踏破し、日課に至ります。結果的に、ナザレを離れられたのです。

 

   三か月後、ルカ福音書は「住民登録(2章)」を告げ、国内の人々の大移動を起こします。発端は「困った時こそ、神頼み」である34節「神さまへの疑義」でした。結論に導くのは「神の言葉は実現する(45)」という確信でした。困った時にこそ、頼むものがあるのです。





2024年12月13日金曜日

12/8 柳井クリスマス・ミニ・コンサート 西宮教会

 本年度、 クリスマスの行事は以下のとおりとなります。

 12/21(土)13:40~ 柳井チャペル クリスマス・ミニ・コンサート

 リードオルガン、ピアノ、フルートの演奏です。

 下関教会の方が2名来られ、演奏されます。

       14:30~ 柳井チャペル クリスマス礼拝

 12/22(日)10:45~ 徳山チャペル クリスマス礼拝

       15:30  防府チャペル クリスマス礼拝

 12/24(火)19:30  徳山チャペル クリスマス・イブ礼拝

 それぞれ、どうぞご予定に入れて頂ければ幸いです。



こちらは、六日市のクリスマス礼拝。

公民館(集会所)を用いてのクリスマス礼拝でした。12/10(火)のことでした。

こちらは、管理責任を与えられている兵庫県の西宮教会。12/12(木)に訪問しました。

日中でしたから、点灯はされていません。

ただ夕方から夜にかけ、川沿いをいく方々に光が届くのでしょう。

教会員が手掛けたものです。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

12/14 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

12/15 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

12/17 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝  家庭礼拝です。

12/21 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

12/22 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

 

ルカ3: 1 6 (105)

 説教              「北風の中で、若芽」 

    ルカ福音書は洗礼者ヨハネを「歴史」に位置付ける試みをします。他福音書とは異なる所です。それは登場の次第に現れています。旧約の預言者たちの登場場面に倣い、時の王侯に触れます。同時にルカは、世相が「デッドロック(行き詰まり)」と知らせるのです。

 

   「総督」はローマ軍司令官で、ピラトはヘロデの子息の遺領エルサレム一帯を支配していました。「領主」の原文は「1/4領主」でヘロデ等に託され、領土は北方でした。「大祭司」には「アンナスとカイアファ」両名が任官しています。軍事、行政、宗教が混沌でした。

 

   ルカは世相の標記で、「今も、昔と同様」という達観を、少し後の時代に生きる人として述べるのです。もちろん、背景の状況こそ異なります。が、人間社会とは「平坦な道」とは程遠いのかもしれません。山や谷を辿りながら、昔も今も人々は生きるものなのでしょう。

 

   ルカは、「荒れ野」に主が近づくと語る洗礼者ヨハネを記します。未来に整地される希望を語りつつ(5)、荒れ野で「人は皆、神の救いを仰ぐ」とします。それが主イエスが実行なさったことでした。昔も今も「行き詰まり」は存在するものなのです。そこに伴う方を見たい。

2024年12月3日火曜日

11/30.12.1 六日市、防府ポインセチア、柳井と徳山ツリー、徳山礼拝堂

  本年度、 クリスマスの行事は以下のとおりとなります。

 12/21(土)13:40~ 柳井チャペル クリスマス・ミニ・コンサート

       14:30~ 柳井チャペル クリスマス礼拝

 12/22(日)10:45~ 徳山チャペル クリスマス礼拝

       15:30  防府チャペル クリスマス礼拝

 12/24(火)19:30  徳山チャペル クリスマス・イブ礼拝

 それぞれ、どうぞご予定に入れて頂ければ幸いです。


 12/1 礼拝後に装飾が施された、徳山の礼拝堂。

 今は施設入所中の方が発案された、雲を意図する装飾とのことです。

 11/30 礼拝後に装飾された、柳井のクリスマスツリー。

 これでもかと、木に飾りが。

 11/26 と思われますが、六日市の空。この後の日に、山間に初冠雪とのこと。
 11/17 と思われますが、防府のはっさく。色づき始めました。
 11/24 と思われますが、防府のポインセチア。一足早いですね。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

12/7 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

12/8 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

12/10 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

12/14 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

12/15 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

ルカ21:2533 (152)

 説教              「心を亡くさない年末」 

    教会の暦は新年を迎え、クリスマスの備えが始まりました。今年度はルカ福音書が礼拝の中心となります。ルカのクリスマス物語の特徴は、「天と地との繋がり」です。断絶ではありません。そのことは今日の「再臨の告知」でも同様です。「終末思想」を開きましょう。

 

    日課の前段落「エルサレム包囲戦」の予告に続きます。今日の「天変地異と海の騒動」が「再臨」のきっかけと主は言われます(27)。天変地異を宗教的に語る形式は、好意的に考えれば「非日常における極限の不安」の中での、「神の救済、安心」を示すものです。

 

    人間の歴史は、「天変地異」に直面し、乗り越える試行、過程のものと言えます。しかしその過程で、「天変地異、不順」が宗教によって悪く用いられたこともあります。「天変地異は神の裁きであり、神を信じれば裁きを逃れ得る」という教えがその最たる悪例です。

 

    主の教えは明らかに異なります。「いちじくの木」の話の時期は早春、しかし主は初夏を語ります。世情は厳しくとも、草木は伸び「神の国が近づく(31)」のです。困難の渦中でも、神はみ手を私たちに伸ばすことです。「羊飼い」に御子が告げられた構図と同じです。



2024年11月21日木曜日

11/17.21 防府と、晩秋の菊、クリスマス行事

 本年度、 クリスマスの行事は以下のとおりとなります。

 12/21(土)13:40~ 柳井チャペル クリスマス・ミニ・コンサート

       14:30~ 柳井チャペル クリスマス礼拝

 12/22(日)10:45~ 徳山チャペル クリスマス礼拝

       15:30  防府チャペル クリスマス礼拝

 12/24(火)19:30  徳山チャペル クリスマス・イブ礼拝

 それぞれ、どうぞご予定に入れて頂ければ幸いです。


 11/21(木)徳山チャペルの玄関を臨む写真となります。

 ブナは新たな命を芽に込め、麓の菊は今が盛りとなっています。

 11/17(日)防府の礼拝堂。

 典礼色の緑も、そろそろ見納めと。

 今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

11/23 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

11/24 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

11/26 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

11/30 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

12/1 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

マルコ13: 1 8 (88)

 説教              「忍耐は希望を生む」 

    聖書は「エルサレムの破却預言()」から始まります。弟子たちは46年の歳月(ヨハネ2)と、人力と財力を費やした「神殿」を賞賛します。建造費は歴史家ヨセフスによれば、人々への増税で賄われていました。増税の先棒や片棒は、宗教者たちが担ぐものでした。

 

既に主イエスは「宮清め」(11章)と、祭司批判 (12章)をします。主は宗教者たちの、不当利得への非難に留まりません。彼らが利を稼がざるを得ない背景、つまり「建造費負担のノルマ」を考えさせます。この「神殿」は、人々の「血税」の象徴であることを示します。

 

    主が見た現状は、宗教者が金銭に執着し、律法の精神が説かれず、軽視されるものでした。国家や個が「価値観」を欠く時、偽りや「戦争の噂」に弱くなると見たのです。主は「慌ててはいけない(7)」と言われます。諸事に目移りせず、確かなものを見る勧めです。

 

戦争や天災は、全ての時代に起きてしまうものです。私たちの時代も同様です。そこに直面した時には、心痛以上のものがあります。不安定な時代の中、時の祭司が語らなかった「神の愛」を主イエスは語りました。律法を越えた、聖書の価値観に生きていきたい。


2024年11月12日火曜日

10/26.11/4.10 柳井川、宇部、防府

 

 こちらは、11/10(日)防府の礼拝です。

 赤(宗教改革)→白(全聖徒)→緑の典礼色でした。

 こちらは、11/4(月・祝)るうてる秋の大会の外の様子です。

 会場は宇部教会でした。

 こちら、10/26(土)の柳井。

 雨が濁流となっています。

 カニもたまりかねて上陸。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

11/16 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

11/17 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

11/19 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

11/23 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

11/24 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

イザヤ 25: 6 9 (1098)

 説教           「遠くを見つめ、近くを生きる」 

    賛美歌「いつくしみ深き」は、「母への手紙」が基になります。婚約者と死別した青年が、自分の母に、心痛む状況の中でも「友なるイエス」の支えで生かされている、という思いを記したものです。青年の信仰の言葉は、後年、私たちが歌う讃美歌とされたのです。

 

   イザヤ書は、他国からの侵略(17)の危機に記されたものです。厳しい現実の中だからこそ、2章でやがて「平和」が、9章では「イマヌエル預言」が語られます。イザヤも一人の当事者として、まずは現状を越えた後の希望を読み手に示します。それが6節に現れます。

 

   ただ、8節は「現実」に触れる箇所とも読めます。「死を滅ぼす」とは、死という概念の抹消です。地上の命の終わりはありますが、続く「新たな生」を示唆します。しかし悲しみの「別れ」に直面する遺族を神は「涙の拭い」で接します。神の、個々への愛が示されます。

 

   主イエスはこのような「死後の世界観」を体験された方でした。十字架後の三日間を経、今なお私たちの懐かしい方々と共にあるのです。「いつくしみ深き」の青年も、主を友とし、日々を過ごしたのです。心に浮かぶ懐かしい方との再会の日を思い、日々過ごしましょう。






2024年10月29日火曜日

10/26.29 柳井と徳山

 

10/29 いつしか秋になりました。

酷暑を乗り越えたメダカたち。

10/29 朝から曇りの徳山。午後遅い時間に雨の徳山

花壇は教会員さんのお手入れによります。


10/26 柳井 宗教改革礼拝でした。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

11/2 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

11/3 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

11/6 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

11/9 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

11/10 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

エレミヤ31:3134 (1237)

 説教              「昔のことは今のこと」 

   マルチン・ルターの「聖書に帰ろう」という呼びかけは1517年「宗教改革」となりました。「感染症」が「世界を不安で覆う」時代の中でした。本来なら、教会は不安に直面する人々を支えるはずでした。しかし時の教会の一部は、不安の波に乗じ商売をしていました。

 

   エレミヤ書の「新しい契約」で、神は、石板の「十戒」に替わる手段を示します。なぜか。エレミヤの結びは事実としての、都の飢餓と、他国による破却と捕囚です。滅亡に向けた中で、エレミヤは心の備えを語ります。み言葉は神殿に替わり、個々の人にあると告げます。

 

   エレミヤは、ルターが主張した「先行する神の恵み」の原型を語ります。ルターの時代の感染症、ペストは人々に「死の凄惨さ、大量の死、不可解、恐怖の継続」を示しました。エレミヤは堕する偽預言者に替わり、ルターは堕する教会に替わり「根付く神」を説くのです。

 

   ルターの地域では、教会は「一枚のお札(免罪符)」を「不安の払しょく」に用いました。ルターはその時代の中で「人を義とされる神と、イエスの働き」を伝え、教職には「大教理」信徒には「小教理」を記しました。今も困難な時代の中、「真理」を求めて過ごしましょう。






2024年10月25日金曜日

11/19.20.23 柳井、防府、神戸

 

 10/23(水) 久しぶりに神戸教会に出張してきました。

 写真は神戸教会、礼拝堂です。

 心臓破りの坂を速足で上り、汗をかきました。

 10/20(日)防府の礼拝堂です。

 天窓のステンドグラスが写せないかと試行錯誤。無理でした。

 10/19(土)柳井の礼拝堂。

 きれいな花を前に、子どもたちのテンションが上がりました。

 週末の更新になってしまいました。

 今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

10/26 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

10/27 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

10/29 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 家庭礼拝です

11/2 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

11/3 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

■マルコ10:3545(82)

 説教              「起きたことは天啓」 

   主イエスに「コネ」で出世を頼む兄弟弟子、そこに立腹する他の弟子たち。主イエスは彼らに何を言うのか。さて、兄弟弟子は「栄光を受ける時」と言います。主イエスは、直前で「栄光」に触れません。一回目「受難予告(8:38)」の「栄光にて来る」の反映と見ます。

 

   第一朗読は、旧約・イザヤ書の「苦難の僕」です。「捕囚」という苦渋の極致にある同胞に、苦渋に共感する「苦難の僕」を送るイザヤの預言です。主は「僕」をご自身と重ね、苦難の最期を迎えること。また、人の負い目を負う自身を「身代金」として位置づけるのです。

 

   一方、兄弟弟子たちは、直前の「苦難」に触れず、「栄光」に思いが留まります。主の願いである「苦難の同伴者」を理解もしません。しかし兄弟たちは「盃も洗礼も受ける」と、やがて主が語った通り、苦難を辿ります。それは主の復活の出来事と、聖霊降臨後でした。

 

   主は「仕えること」を告げます。ディアコニアという言葉の語源で、原意は「チリかぶり」です。「額や心に汗をかく」ことで、チリは見えます。弟子たちは「共有の社会(使徒2:44)」の中で、実行します。「起きたこと」に対し、額や心に汗をかいて日々を過ごしたい。


2024年10月13日日曜日

10/12.13 防府、徳山、柳井

 

 ある日曜日の防府チャペルの様子。聖壇のお花も秋となりました。
 柳井の様子。
 下松の海岸。遊歩道が海にせり出している「はなぐり海岸」です。
 こちらは柳井。秋のお花の代表格、コスモスです。

 今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

10/19 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

10/20 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

10/22 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

10/26 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

10/27 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

■マルコ10:1722 (81)

 説教              「背を見る瞳」 

    「富める青年」は「永遠の命」を求めていました。「陰府」でなく「豊かなみ国」への願いと言えます。青年は、単独・孤独という意味の「陰府」への出立を望まなかったのです。その青年に主は、十戒5~10項を問います。これらは青年に実行出来ているものでした。

 

主が、安息日の礼拝規定(4項)を外したことがここの肝要なことです。礼拝規定は、礼拝行為の勧めのみではありません。安息日は、隣人を物心で覚えることを目指します(レビ23:38)。主は青年の「関係の希薄さ」に気づき、「関係を創る」ことを勧められます。

 

これを厳しいとと取る青年は主のもとを去ります。その青年を主は「慈しんで」見送ります。単独・孤独から脱したかったために主のもとを訪ねたのでしょうが、その状況は続くのです。モノに、自己に執着する人を覚えた主は、やがてご自身の全てを差し出されました。

 

主は彼を「慈し」みました。「慈しみ」とは、深い情愛と言い得ます。つまり、自己を惜しみ、他者への愛に踏み出せない私たちの姿です。そこに主は究極の自己放棄をなさいました。私たちはその主との関わりに生きています。「単独・孤独」なこの世の人々を覚えましょう。


2024年9月25日水曜日

9/21.22 柳井、徳山、防府

 

 9/22(日)防府の礼拝堂です。緑の典礼色に、紅い花。


 9/23(日)徳山の礼拝堂。落ち着いた雰囲気ですね。


 9/21(土)柳井の礼拝堂。説教壇には「信望愛」のうち、信。


今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

9/28 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

9/29 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

10/1 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

10/5 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

10/6 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

◇マルコ9:33~37 (79)

 説教              「小さくされた人々に」 

    聖書は、大人と子どもの線引きとして、律法の教育(申11、箴22)の有無を示します。子どもは「未熟」と見なされます。しかし主は「子どもの受容」が、救い主や神を受容すると言われます。主は子どもとの関わりを通して、神や主イエス自身の姿を説かれるのです。

 

   主の言葉の背景は、弟子たちの「誰が偉いか」の議論でした。「主の弟子間」の偉さですから、実績を披露し、相手を暗に否定したのです。直後でヨハネが功績を誇る通りです。結論は、弟子間の序列です。その結論に主は、当時「半人前」と見られた子を提示します。

 

   子どもに限らず目の前の人の受容は、状況と事柄に依り、容易にも困難にもなります。しかし神や主イエスは、状況と事柄に依らず、人々を受容されました。ここで主は「子ども」の受容を試みることを通し、自身を含む、全てを受け入れる神さまを覚えることを勧めます。

 

   「一番先になる(35)」価値観は、競争の原理となります。社会を発展させた考え方でしょう。競争だけでは疲れることもありますので、「休息」も必要となります。カファルナウムの「家」にいた子どもも、主の基に集い、休むのでしょう。今日、そのことは私たちも同じです。



2024年9月18日水曜日

9/14.15 柳井、徳山、防府

 

 9/18(水)徳山礼拝所の様子。玄関からの撮影です。
 9/15(日)防府礼拝所の様子。かわいらしい花です。
 9/14(土)柳井礼拝所の様子。献花は秋の様相ですが、外気は真夏。

 今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

9/21 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

9/22 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

9/24 火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

9/28 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

9/29 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

◇マルコ8:2738 (77)

 説教              「神は、あなたと共に」 

    死海は「塩の海(創14:3等)」として知られる窪地の湖で、ヨルダン川が注ぎ、水源はヘルモン山でした。「フィリポ・カイサリア」とはヘルモン山ろくにある避暑地でした。ユダヤ国内でローマ式命名が成されていたのは、ローマ帝国の「飛び地」と「された」からです。

 

    地域名は、ヘロデ・「フィリポ」王が、皇帝「カイサリア」に献上した由来からです。地域の人々の心情は、集めた噂に現れます。為政者批判に歯に衣着せぬヨハネ、唯一神への回帰を訴えた預言者エリヤ、(義人の苦しみを語るエレミヤ)が主イエスに重ねられます。

 

   「モノ言う人」ヨハネとエリヤの役割が主に求められたのです。主は弟子たちに自己理解を求め、ペトロは「メシア」と答えます。厳密には意味は二つです。黄金時代を確立したダビデの再来、或いは苦難に同伴する存在。ペトロが思い描いたのはどちらでしょうか。

 

   主は「沈黙命令」を発します。時代やペトロの求めは「黄金時代の再確立」メシアでしたが、「カイサリア」でのトラブルは不要と見たのです。主の自己理解は「苦難の同伴者」でした。十字架の死を克服された主が、厳しくも、穏やかでも、共にあることを覚えましょう。


2024年9月8日日曜日

9/7.8 防府、柳井、徳山

 

 9/8(日)礼拝後、牧師室から観葉植物を臨んでいます。

 

 9/7(土)柳井チャペルで歌っている、子どもの讃美歌。

 「厚狭教会キャンプ」でも歌われていました。

 会員の方が、歌詞を書き、装丁してくださいました。

 9/1(日)防府の礼拝堂。

 今から向かいます。

 今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

9/14 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

9/15 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

9/17 火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

9/21 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

9/22 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

■マルコ7:2437 (75)

 説教              「助けることは、共にいること」 

    今日の聖書には「病癒し」の主が記されます。「悪霊(26)」がもたらす病は、「熱病」の可能性があります。今日「患う理由」は「病の仕組み」が解明されつつあるので、恐れは低いものです。主の時代は全て手探りでした。その病に向かう主の姿勢を聞きましょう。

 

    類似のマタイ15章と共に、登場の女性は「異邦人」となります。主イエスの「国際性」と、病の「普遍性」をも示します。熱病は「神の呪い(申28:22)」とされていました。数日で治る熱ではなく、続く症状にこの母も心を痛めるのです。ここに私たちとの関連があります。

 

    「病」とは、り患した当人は快癒を願います。また近しい人がり患した場合は、快癒を願い、原因を問い続け、自責を抱くこともあります。名高い主の噂をもとに母は治療を願います(26)。しかし主は「民族性(エゼ34:16)」に基づく、拒絶と見える答えを返すのです。

 

    厳密には拒絶ではありません。主は、「ユダヤ選民思想」は「神の愛」の前には成立しえないと受け止めていました。だから「犬」ではなく「子犬」と呼び、全ての人は神の前に愛されると語るのです。聖書にある、家族を思う姿を大切にされる主の姿を覚えましょう。


2024年8月27日火曜日

8/24.25 柳井、徳山、防府

 

 8/27(火)徳山の礼拝堂、朝の光を受けています。

 数日後の台風が心配です。

 8/25(日)防府の礼拝堂。「いうまいと 思えど午後の 暑さかな」


 8/24(土)柳井の礼拝堂。こちらも午後礼拝。

 今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

8/31 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

9/1 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

9/3 火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

9/7 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

9/8 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

ヨハネ6:5669 (176)

 説教              「離れずに生きる」 

    「五千人の給食」の要点は、「分かち合う」ことも一つです。頂きものの「パンと魚」を、主は大勢の人々に分かち合うのです。今自身の手元のものも、自身の力も、独自のものではありません。頂いたものを「大勢に」つまり身近な所で使うことが出来ると思います。

 

今日の聖書では、主が自身を「命のパン」とします。「肉と血(56)」を頂くことを勧め、古事の「マナ」を「先祖が食べて死んだパン(58)」と語ります。不信を示唆(64)された弟子たちの多くが「ひどい話だ」と去ります(66節)。なぜ、主の言葉は届かなかったのか。

 

    「血」は「儀式で、神に捧げる(レビ17:10-12)という規定があります。この規定から「血を飲む」という主の言葉は拒否されます。主は「出エジプトのパン」を時限・有限としますが、受け止める人々は侮辱と思うのです(58)。主と人々とに、境界が生まれるのです。

 

  この時代「罪の赦し」は献金と供物に依りました。しかし主はご自身を捧げられ、供物をご自身となさいました。ここでは「ペトロの信仰告白(67)」が成されますが、やがて離れたペトロを後ろに、主は十字架に向かいます。主の、ご自身の分かち合いを覚えましょう。



2024年8月23日金曜日

8/17.18 礼拝堂

 

 8月 さつまいもの伸びはいまいち。


 8/18 防府の礼拝堂。午後の礼拝堂は猛暑なのです。
 8/18 徳山の礼拝堂。朝はそれなりに涼しいですが、午前中一気に気温があがります。

 今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

8/24 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

8/25 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

8/27 火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

8/31 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

9/1 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

■ ヨハネ6:5158 (176)

 説教              「死を越えたいのち」 

    「五千人の給食」は、ヨハネ福音書と他とでは、結論が異なります。ヨハネ福音書は、「身体を養い」そして「心を満たす食物」に注目しています。「心を満たす」食物とは、イエスご自身(51)。弟子たちの時代に制度化された「聖さん式」を思い起こさせる内容です。

 

    日課では「肉を食べ、血を飲む(53)」という言葉に「ユダヤ人」が拒絶しています。この背景はレビ3章、17章です。「血」とは「命」「神への捧げもの」に用い、「地に返す」という記載があります。主の言葉は「ユダヤ人(52)」や「弟子(60)」をも離れさせました。

 

    主の言葉は当時、明確な違反と見なされ、結果的にはユダヤ教から分かたれた要因でした。しかし主は「離反」を意図しません。祭儀の動物の血に替わり自身が「ただ一度(ヘブライ書)」血を流し、頂くものに「永遠の命」を示し、現世の希望を抱かせる意図でした。

 

  聖書では「パンと血(54)」を頂く者が、永遠の命と復活に預かるとします。「頂かない者」については言われていませんが、主はヨハネ14章では「全ての人のための、天での場所」を語ります。主の言葉を通して、今から永遠に向けて導かれることを覚えましょう。




2024年8月14日水曜日

8/10.11.13 柳井と徳山、そして徳地


8/10(土)柳井チャペルの礼拝堂です

8/14(水)の、徳山チャペルの礼拝堂。
 
8/12(月)山の日。山間の徳地(とくぢ)の釣り堀。

ニジマスハント。お土産はサバのような大きいサイズ。この人が採りました。


暑さの中、茹で上がらないメダカたち。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

8/17 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

8/18 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

8/20 火曜日 18時半 六日市チャペル礼拝 

8/24 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

8/25 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

■ ヨハネ6:35, 4151 (175)

 説教              「優しさは、繰り返す」 

    「五千人の給食」は、「男だけでおよそ五千人(6:10)」の人々にパンと魚を提供した話です。4福音書が記載する「驚き、印象深い」話です。在所の会堂では聞けない、主の話と働きを求める人々の「身体」が満たされました。ただ、ヨハネ福音書は「給食の意味」を付け加えます。結論は、主は「身体の満たし」以上に、「心を満たす」ことを伝えるのです。

 

    「心の渇き」は、不満や疎外感とも言えます。主は「いのちのパン」と自身を述べ「信じることで、飢えず、渇かず」と言います。「渇かず」は、「魂の渇き」を覚えた「サマリアの女性(ヨハネ4章)」との関わりにも登場します。女性は、主との暖かな、心情を察する対話を通して「渇きが癒される」ことを実感します。ただ日課では、主の発言は戸惑いを生みます。

 

    彼らは主の考え方を問題にします。「出エジプト」時に、人々をマナで養われた神と、自身を同列に見るその姿勢は良いのか。加えて「ヨセフの子」である自身を「天からのパン」と述べる姿勢は正しいのか。主としては、自身の在所を天とする(44)ことで、全ての人のために「居場所を創る」意図を示すものでした。しかし主の言葉全ては、受容されません。

 

   主は「出エジプトの昔(49~)」を、「神の食べ物を食べたのに死んだ」と言います。そしてご自身を「パン」と語ります。「聖餐式に預かる勧め」とは、やや短絡的な見方です。主イエスとはどのような方か。居場所を用意し、共に歩み、支え、日々を助ける方なのです。「対話」の相手として、私たちは自身の心を主に向けましょう。日々の支えが、あります。